芸事って受動的なのかも?

*きのうは、先日イベントにも出てもらった落語家の九ノ一さんと飲んでいた。途中でミュージシャンの方も合流したり、プロのDJの方も合流したりして、みんなして「落語」を中心に、それぞれやっていることやポイント、みたいなことを話していく、それはそれはいい時間だった。ぜんぜん違う職業でも、共通点ってけっこうあるものなんですよね。

中でも、きのうの話でいちばん面白かったのは「落語って、ほんとうにお客さんありきなんですよ」というものだった。自分が120点の落語ができても、お客さんの体調が悪かったり、それこそ集中されていないと、120点はそのまま届かない。逆に、自分としては出来が60点だったな、というときでも、お客さんが食い入るように聴いてくれていたら、それは80点以上の出来になるという。

そもそも落語という芸が、身振り手振りと声だけでやるものだから、お客さん側の想像力は必要不可欠だ。そういう意味でも「お客さんありき」だし、おおげさに言ってしまえば、お客さんの協力なしには成り立たない。誰もいないところで落語をしたって、話し手はそこまで面白くないだろうしねー。

この話にイチ早く反応したのが、プロのDJの方だった。「それ、DJも同じなんですよ。発表会じゃないから、フロアの空気を感じてやらないといけないんですよね」と、こちらもお客さんの空気感を肌で感じて、盛り上げるのか、少し落ち着かせるのか、なんと3曲先までの展開を考えているそうだ。

ここから思ったのだけれど、「芸事って、すごく受動的」なんじゃない?もちろん、お客さんを圧倒させるほどの芸もあるだろうけど、そんなのはいい意味でまれだし、圧倒できるほどの「準備」がお客さんにも演者にもできていないといけない。ほんとうに演者の力だけで、そこに到達できるのだろうか。お互いの点が重なったその位置に、「いい芸」というのはあるのかもしれないなー。変えるということは、変えられるということですよ、という吉本隆明さんのことばを思い出している。


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