さまざまな聴く

*コミュニケーションってものは、ほんとうにおもしろいなぁと思う。考えれば、考えるほどおもしろい。くちべたなぼくでさえ、おもしろいと思うんだから、もしかするとお口がジョーズな人はもっとおもしろいのかな。いやいや、コミュニケーションを人一倍楽しめている人はやっぱり「聴く」が上手な人だろうなと思う。コミュニケーションがおもしろいのは、やっぱり相手がいるからだ。

コミュニケーションの本質は、やっぱり「聴く」ことにある。なぜなら、くちべたなぼくでさえ、そう思えるからだ。だってよく考えてみたら、生まれたての赤ん坊だって、コミュニケーションを取れているんだよ。「バブバブ」としか言えなくったって、りっぱにお母さんに意思を伝えることができている。一昔前の亭主関白なんて「めし・ふろ・ねる」の3語しか話さなかったというくらいなのに、コミュニケーションが取れている。どうしてかって、「聴く」側の存在があるからだ。

くちべたや、亭主関白のような3語しか話せない伝えることにおいての赤点族だって、コミュニケーションが成立するのは「聴く」側の点数が高いからだろう。「聴く」ってのは、それくらいすばらしいことなんだ。口を上手くするよりも、耳をそだてることのほうが、よっぽどいいと思うよ。「聴く」をきたえることのほうが、話すも上達するし、それに伴う「見る」ことだって上達していくはずだ。

聴くにもさまざまな「聴く」がある。今この文章を読んでくれているあなたは、ぼくの言葉を目を使って聞いてくれているわけでしょう?身体で聴く、目で聴く、耳を使って聴く、表情を使って聴く、こころを使って聴く。さまざまな聴く行為を組み合わせて、ぼくたちはいろんなものを聴いている。聴くが面白いのは、目に見えないものまで、聴くことができる瞬間があるってのも、おおいにあるだろうねー。


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