緊張と緩和のセンス。

*年の瀬の楽しみのひとつに「落語」というのはいかがでしょう。これぐらいの時期は、落語家さんも大ネタをやってくれたりするものなのです。有名なところで言えば「芝浜」とか「文七元結」だとか、普段はなかなかかけないネタを、年末だからとしてくれる。他にも十二月は、忠臣蔵の討ち入りの日でもありますから、忠臣蔵に関するネタをかけてくれたりなんかね。

ちょうど先日、柳家喬太郎師匠の落語を聴きに行った。十二月の独演会だということで、テーマは「忠臣蔵」。一席目は「カマ手本忠臣蔵」なんていう、忠臣蔵の主要人物がオカマだったという、色物ネタだったんだけど、これも面白かった。そして二席目は「俵星玄蕃」という、討ち入りに助太刀をした槍の名人の噺でね、これがぐっとくる噺だったんだよなー。

落語のほとんどは「滑稽話」、いわゆる笑い話です。馬鹿や阿呆が場を掻き回す、食い違いや思い違いが面白いお話。それとは別に「人情噺」という、いわゆる泣けるお話もあります。こちらは笑いもありますが、やっぱりグッと来るシーンは静かに聴き入っちゃうものなんですね。ただネタ中の30~60分、ずうっと聞き入ってるってのもなかなか難しいですから、笑いをまぶしたり差し込んだりして、しっかり僕たちに「聴かせて」くれる、それが噺家さんの腕だったりもします(素人語りで申し訳ない)。

喬太郎師匠の、人情噺でシィーンとしてるのに、笑いを差し込むセンスが恐ろしかったんだよなぁ。ぼくも何度か落語を聞いていて、集中しっぱなしで疲れたり、そろそろ笑いで一息つかせて欲しいなと思ったりすることがある。逆に、笑いを挟み過ぎて、あんまり感情移入できなかったなぁ、なんてこともある。ただ、この日の喬太郎師匠の話は、すごかった。集中させてさせて引き込んで、ちょうどいいところでチクっと刺すように笑わせる。そしてまた話の本筋に戻り、しっかりと人情噺をやってのける。まさに名人芸極まりない。

何が恐ろしいって、このチクっとした笑いのあとに、リラックスしてさらに集中して聴いている自分に気が付いたんです。笑いが、リラックスが、緩和が、緊張にものの見事に作用しているんですよ。このセンスは、本当に恐ろしさを感じた。まさに手のひらの上で転がされるように、あっというまの二時間でした。このへんの感覚、聞いてみたいなぁ。だいたいの計算はあるだろうけど、やっぱり生の空気を感じながら、自身で操作しているだろうし。あの「呼吸が一緒になる感じ」は、生で聞くからこそ体験できる感覚だよなぁ。


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