強さってなんだろう?

*きっとほとんどの人が「強くなりたい」と思っていると思う。「このままでいいよ」って人もいるだろうけど、でも、ほんとうのところは「強くなれるんなら、強くなりたい」と思ってるんじゃないかなぁ。「お金をもらえるならもらっておくよ」ぐらいの、その「強さ」が何にどう役立つかもあまり知らないままに、ぼくたちは強くなりたいと思っている気がする。「強さ」って、ものすごく曖昧な定義だとも思うし。

「強さ」がなんなのか分かっていないまま、「強くなりたい」と思うぼくらは、引いて見てみるとヘンテコだよなぁ。ものすごく漠然と「強くなりたい」のだ。その「強さ」が何の役に立つのか、どんな得があるのか、損することや失うものまであまり考えず、ただ漠然と「強くなりたい」と思う。「強さ」に魅了されていると言ってもいいかもしれない。「強くなって、どうするの?」という質問に答えることのできる人は、意外にもすくないんじゃないだろうか。

「強さ」という単語ひとつにしたって、それはそれは毛細血管ほど枝分かれしていきそうだし、どこに繋がっているのかもわからない。それでも、少しは強くなりたいと願っている。願っているだけでは強くなれないから、どうしたら強くなれるのか、どう強くなりたいのか、そこではじめて考えたり手足を動かしたりしながら、歩み出す。「こうなったら、強いだろう!」と思ったところにたどり着いたとき、「あれ?そこまで強くないぞ?」や「もっと強いやつ、たくさんいるじゃねえか」なんてことも、往往にしてあるだろうし。

ちょっと話をスライドさせると、「強さ」が生む「弱さ」だってあるはずだ。逆に、弱いおかげで鍛えられる「強さ」だってあるように思う。「打たれ強さ」なんて、パンチをもらうから身につく体力みたいなことだしね。強さと弱さの定義をそれぞれに決めて、持ちながら、強いという方向にそれぞれの足で向かっていくんだろうか。

数ヶ月前に、小汚いバーで出会ったおじいさんを思い出す。「おれ、酒にも女にも弱いし、70年生きたけどなーんにもつよないわ!」って酔っぱらいながら言ってたおじいさん、なんだか好きだったんだよなぁ。

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