自然に聴く

*そういえば少し前、知り合いの彫金職人さんのところへお手伝いに行った。大阪の山の方にあるアトリエで指輪をつくったり、オーナメントを作ったりしている方なのだけれど前々から興味があって、ちょっとお手伝いできることがたまたまあったので、向かったのだ。毎年クリスマスに作っているチャリティーオーナメントをつくる作業で、薄い金属の板みたいなものに模様をつけて紐を通す作業をした。こう、地面に置いてトンテンカンと金槌で叩くことで、地面の模様がオーナメントについて、なんだかそれっぽくなるんだよね。こういうの、どうやって思いつくんだろう?

結局、その作業が終わってもだらだらとお話をしていたのでアトリエには何時間もいたんだけど、とっても話を聞くのが上手な方だったんだよなぁ。歳は40近いだろうし、ぼくより一回りも離れている。でも、そんな一回り以上も下のぼくに対して、気を使うこともなく、えらぶるわけでもなく、とても自然に話を聞いてこられる。とても自然に話を聞いてこられたら、こっちも自然に話せちゃうじゃない。あの感じ、すごかった。なんだろう、聞き上手な人って、聞き上手だなぁってその瞬間には思わないよね。切られてから気付く、達人みたいな。

思えば、じぶんよりも経験も知識も少ない歳下の人間にすなおに話を聞くって、なかなかにむづかしいもんだよなぁ。だって、さっき書いた通り、生きた年数が違うのだから経験も、知識も、なにもかも「じぶんより少ない人」でしょ、歳下の人って。でもその歳下の人に、自然に話を聞けるってすごいよ。本当に対等に人と接しているか、意識して歳下の人と話をしようと思っているかのどちらかじゃないと、たぶんむづかしい。で、意識して話を聴こうとするのにはさ、ちゃんと理由があるわけだ。歳下を、歳下として尊敬する理由がね。それがなかったら、だって「じぶんより少ない人」と話をしようとは思えない。誰しも、じぶんと近い人と話をすることのほうがラクなんだから。

しかもそれを、もう自然にできるってのが、すごいよなぁ。もちろん最初は意識的にしていたことが、今はもう自然になっただけなのかもしれないけど、だとしてもだ。なにかを自然にできるまでには、それなりに回数をこなさなきゃなんない。しかも「聞く」ってのはコミュニケーションだから、じぶんひとりで出来ることじゃないしね。自然に、聴く。書くのは簡単だけど、やるのはけっこう、むづかしい。


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