経験したがゆえの「怯え」。

*経験したからこそ、怖いものってあるじゃないですか。怖いままになっているもの、と言い換えてもいいかもしれない。初めてのときは、驚きが恐怖を上手に隠してくれたけど、二回目三回目のほうが怖かったりするもの。おおげさに言ってしまえば、「トラウマ」になっているものなんかも、そうだよね。

例えば、ヤケドをするまで、火に触れて「アヂッ!」ってなるまで、火のことは怖くも何ともなかったでしょう?火を経験していないからこそ、なになに?と触れようとしちゃって、ヤケドして、初めてその怖さが分かる。逆に言えば、火を経験していない人に、火の怖さは分からないわけだ。

たまたまヒジョーに分かりやすい例だったけれど、こういう「経験から生まれる怖さ」というのはいっぱいあると思うよ。おおきなもので言えば「失敗」なんて、そうでしょう?失敗したことなかったら、失敗なんて恐れていなかったものね。漠然とした知らないことによる怖さはあっても、知らないことに対して想像する余裕は、どうしたって少ないし。

ぼくは幼い頃に盲腸と腹膜炎を同時に患って、危なかったことがあったんです。で、その夜食べた、有名店の唐揚げをずっと吐いてたんですね。あれ以来、あのタイプの唐揚げだけがものすごく苦手になってしまった。唐揚げ自体はは好きなのに、だよ。これも、経験したからこその怖さだ。

けれど、経験したからこその怖さって、不確定な未来に対する「怯え」でもあるんだよね。だって、今おいらがその唐揚げを食べても、今も苦手かどうかなんて分からないじゃないか。ぜーんぜん気にしないようになっているかもしれないし、味が変わっちゃってるかもしれない。転んだから自転車に乗るのが怖い、というのと似たようなことだ。今だったら、変わってるかもよ?

そういう意味で行くと、「初めての経験」が多い状態というのは、生き物としては不利なんだろうけど、それはそれで「怖さを体験していないからこそ、できること」がたくさんありそうだよなぁ。あ、それが「子供の頃」だったわけか。そして、今この年でも、そういうところへ飛び込めば、なるようになるのかもしれない。


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