もっといい場を過ごしたい。、

*来月に「場づくり」というテーマである方の授業を企画しているのですが、改めて「場づくり」について考えたり、振り返ったりするいい時間になっている。ぼくも大なり小なり「場」をつくってきたし、「場」が持つ可能性にも興味がある。ただ、ここ最近のぼくは自分のつくる「場」にどこか行き止まりを感じていて、もっといい場ができないものか、と悩んでいたものなんです。

「場」というのは、大小関わらずそれぞれにある。ぼくがこうして喫茶店で文章を書いている今も「場」だ。恋人とゆるやかに過ごす時間も「場」だし、会社の飲み会も、2時間のミーティングも、お店も展示も「場」だ。思えば、野球場とかコンサートというのも、りっぱな「場」だね。

そんなさまざまな「場」をつくるにあたって、大事にしていることがいくつかある。ただ、最近気付いたんだけど、べつに「場づくり」をしたいってみんな思ってるわけじゃないんだよね。それは自分が場をつくれるなんて考えもしなかった!って人もいれば、そもそも興味がないってマイペースな人もいるし、おれが楽しけりゃそれでいいみたいなジャイアンだっているかもしれない。そうか、みんながみんな「場」に興味があるわけじゃないのか、と気付いて、ぼくの考えは一時停止をくらったものだった。

しかし、そこからよくよく考えて、みんなが持っている最大公約数を見つめたときに出てきたのが「もっといい場で過ごしたい」だったんですよね。「もっといい場をつくりたい」とまでは思わなくても、「もっといい場で過ごしたい」というのは、みんな自然に持っている欲求なんじゃないか。平等に思ったことがあるんじゃないか。とすると、そこからできることはなんだろう?ってみんなで一緒に考えてみるのはおもしろいんじゃないかな。

みーんな、いい場を過ごしたいんだ。過ごしたい自分が、いい場を過ごすために、できることはいったいなんだろう?ひとつの質問でいい場を過ごせることが、ちょっとした働きかけでいい場になることが、もしかしたらあるかもしれない。どうでしょう、いい場をつくるためじゃなく、いい場を過ごすためなら、みんなやってみたいんじゃないかなー。


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