宝箱と鬼が同居する。

*いま、いろんなイベントを催している会社の友人と、あーだこーだと揉んでいる企画がある。いや、企画というほど形になっていない。まだ雑談の段階で、粘土をお互いからこねながら、形を模索している最中だ。仕上げの細かい作業より、じつはこういうときが、ぼくは一番楽しい。「なにつくろう?」って言いながら、手を適当に動かしているあの感じ。決まりきっていなくても、手を動かし続けることが鍵なんだよな。

で、その粘土のテーマは「選ばれなかった未来」について、という大層大仰なものである。このテーマを友人が思いついたとき、真っ先に連絡をくれたのが嬉しかった。なにぶんぼくは、雨の日に「この雨粒の数くらい、未来の選択肢ってあるよなぁ」と物思いにふけっちゃうほど、ロマンティックな男なんだぜ。

「人生は選択だ」という名言をそのまま受け入れるとしたら、分岐の数だけ未来が存在することになる。この道をもし左に曲がっていたら、あの受験に成功していたら、彼女にフラれなかったとしたら…大きなものから小さなものまで、分岐はメガネの度数を上げればあげるほど見えてくるものだ。

その選択に「すべて正解しているか?」と言われて、「はい」と答えることのできる人は地球上に何人存在するだろう。「正解だったと思ってます」とか「意味はあったんです」って言えたとしても、ほんとうのほんとうに「すべて正解の道のりか?」と言われれば、それは難しい。もちろん、右とか左をじょうずに選び続けてきた人もいるかもしれないが、たいていの人は間違ったり遠回りしたり、道草を食ったり転んだりしながら歩んできた人がほとんどだと思う。

そう思えば、わりと「どっちでもいい」というのは、正解かどうかより本気な意見な気がするんだよなぁ。どっちを選んでも、どっちもどっちだよ、という達観ではない本気の答え。ゲームでは片方の道に宝箱があって、もう片方には鬼が出て、みたいなことがあるかもしれないが、人生はそうじゃない。片方の道に何もなかったり、もう片方には宝箱と鬼が同居していたりする。その2つを比べること自体が、どこかお門違いでもある。ただ共通するのは、どちらの扉も、自分の手で開かないといけないことだよな。


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