きみは負け続けられるか?

*きのうは、桂九ノ一さんとの落語会終わりに、打ち上げに残ったお客さんを交えながらふたりでこんな話をしていた。「ウケなかったとき、スベッたとき、どうやって自分を励ましたり慰めたりしますか?」なんて、勝ち戦ではなく、負け戦について三十手前の男二人が真剣に語っていたのである。いや、ぼくたちも、まだまだ負けてばっかりなんですよ。


九ノ一さんは、即座に次の舞台を考えて切り替えるという。ただ、やっぱり引きずるほどの日もあるんだそうだ。ひとつ聞かせてもらったのが、昔に、大看板で有名な江戸落語の師匠の独演会に出たものの、まったくウケなかったという。これでもか、これでもか!と、出せる手札をぜーんぶ切ってもウケなかったので、お手上げだったんだそうだ。


ぼくはその話を聞いて、「でも、それってすっごく良い負けですよねぇ」と自然と口から言葉が出た。あれこれ手を尽くして、全力でやった末での負けなのだ。ぱんついっちょうまでは脱いでの、負けなのだ。それは、わけもわからない負けや、偶然の勝利よりも、よっぽど価値のある「負け」だと、聴きながら思った。


ぼくの好きな糸井重里さんが、「1回の負けで、1敗で帰るのは素人なんだよ。プロは負けても良いんです。1敗しても2勝すれば勝ちなんだから」となにかで言っていたのを思い出す。そうだ、負けてもいいのだ。大切なのは負けた事実よりも、そこから何を活かして次に繋げるかだ。それの繰り返しができる人を、プロと呼ぶのかもしれない。


あまりにも実力差がある場合は、そもそも勝負にならないってこともある。けれど、自分自身との戦いなら、そこまで実力差はなさそうだ。手を抜いたら、「負け」ですらなくなっちゃう。ちゃんと負けることができるのは、全力を尽くしたやつだけだべ。

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