私の笑い声が、作品をおもしろくする

*ぼくはけっこう、あらゆるもののファンだったりするのだけど、そのなかでも特段ひいきに思っている「芝居紳士」さんの新作公演を観に行った。『吉岡鳥一郎は何でできているのか』という新作、なんだかんだ芝居紳士さんは3ヶ月に一度ほどのペースで新作を書き上げ、公演を続けている。ということは、現在の公演をしながら、次の作品をどんどん練り上げているということだ。作り手からしたら当たり前のことかもしれないが、けっこうむづかしいもんですよ、これ。ちゃんと書き上げて、演じて、また買いて、演じて。演者にもお客さんにも好みの作品はあるだろうけれど、それにしたって毎回おもしろいのが、やっぱりすごい。

内容についてネタバレしない程度に軽く触れておくと、そうだな、やや個人的な感想ではあるけれど「うれしいことも、かなしいことも、指折り数えれるけれど、きみはどっちを数えますか?」と言われているようだった。よろこびもかなしみも、平等にちゃんとある人生の中で、どう生きるのか。下を向く時間が長ければ長いほど、ふと見上げた空がうつくしく見えるのも事実だったりする。いつまで経っても芝居紳士さんの作品は、人間みんなに送る讃歌のようなものだなーと、いつも思う。

・芝居紳士さんのお芝居の素晴らしさは、何度見ても、お客さんが前のめりに協力して楽しんでいくところなんだよなぁ。「私を楽しませてくれる演者」と「私が楽しませたい観客」の関係じゃあ、できないことをやってのけている。どこまで台本でどこからアドリブなのか分からないわちゃわちゃ感と、私たち観客が楽しめば楽しむほどノッてくる演者の空気や表情が、まさに観客をもエンターテイメントの作り手に巻き込んでいる。

私の拍手が、私の笑い声が、私の驚いた顔が、頷きが、リアクションが、この作品をおもしろくしている。観客がそう思って観れるお芝居なんて、そうないよー。芝居紳士さんの作品のおもしろさの2割程度は、きっと観客が自ずから生み出している。それをそうさせているのが、彼らのすごいところなんだけど。


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