気付き合えることって、すばらしい。

*ある劇団の稽古を見ながら、おもしろいことに気が付いた。というか、気付かせてもらった。そうか、人と人とがいるんだから、誰かが、他の誰かに何かに気付くということは、気付いた側と、気付いてもらった側がいるわけだ。「今のセリフ、自然に言えたんじゃない?」「あ、たぶんそうかも。自然だったかも!」なんて言葉が飛び交う稽古場を見学させてもらいながら、そんなことを考えていた。

「気付き合える」ことのすばらしさが、人と人との間や、場にはある。ひとりでは気付かなかったことや、気付いていたとしてもなんとも思っていなかったことが、自分以外の誰かによって発見・発掘される。発見した方は「気付いた」という成功体験を得れるし、気付かれた方は「気付いてもらった」と、こちらも嬉しい体験を得れる。いや、こんな固い書き方をしなくたっていいね。誰かに見てもらえているという嬉しさと、気付いてもらった、気付いた嬉しさ。これは、ひとりではできやしないし、味わうことのできないものだ。

それに、自分のいいところや、思いもしなかったところを見つけるのは、やっぱり人にしてもらった方がいいと思うんです。自分一人でしっかりと客観視して、見つけることもできなくはないだろうけど、見つけたとしても、今度はそれを「認める」作業が発生する。けれど、人に見つけてもらって「いいじゃん」って言われるだけで、うれしく受け取ることができる。何より「見つけてもらえた」ってことが大事なんだと思う。

親子でも、夫婦でも、カップルでも、先輩後輩でも、同僚でも、ライバルでも、たくさん気付き合おう。あいつやあなたのいいところを、たくさん見つけて、ときには伝えてみよう。人の悪いところをすぐに見つけちゃうような人は、必ずその目を良い方にも使えるはずだから。そして、気付き合えることのよろこびをたくさん享受しよう。人間は孤独かもしれないけれど、ひとりじゃないんだから。


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