星空を見ながら顔に似合わぬことを

*顔に似合わず、ロマンチックなことを書いてみます。ぼくは、人間や社会の「関係性」というものはぜーんぶ、星空のようなもんだと思うんです。満点の星空を見ながら、これは「星々の関係性」だと思うんですよね。星の位置も、星座も、ひとつひとつが星々の関係性によって生まれているものでしょう。ぼくたちの肉眼で確認できる星だけじゃなく、思いも届かないほどの距離で、たしかに光っている星もあるはずなんです。

近いも遠いもなく、ただそこにある場所で、光っているだけなんですね。光の強さというのは、距離の話でもあるわけですし。ぼくたちから見て強く光って見えるのは、もちろん光の強さもあるけれどそれ以上に、ぼくたちからどれだけ離れているかが違うわけです。おんなじように光ってるんですよ、小さい星も、ぼくたちから見えないほど遠い星も。逆に言えば、近いからおおきく光って見えるということでもあります。

もっと言えば、あの星とあの星は近いね、なんていうことでも、どんどんクローズアップしていけば、驚くほどの距離の遠さがあります。ぼくたちが離れたところから見ているので近く見えるだけで、本当の星と星との距離は遠かったりする。仕事でもなんでも、ひとくくりにしてしまえば似たような仕事だと言えるけれど、そこに関わっている人ほど「ぜーんぜん違う仕事だよ!」ってことあるでしょう。おなじ家づくりにしたって、左官と基礎はぜんぜん違ったりしますし、ぼくみたいな書く仕事でも、隣の人はぜんぜん違うことを書いたり真逆にあるものを表現しているわけです。

恋人や家族という関係性で見ても、そんなことはたくさんあります。距離が近くなればなるほど、遠くに感じたりする瞬間があったりする。家族より、飲み屋でたまに会うおじさんのほうが人となりを知っていることもあるし、知られていることもある。それはいいとかわるいとかの話じゃなくって、そういうものだと思うんです。

それぞれが、それぞれの場所にいて、それぞれの歩みがあって、それぞれの大きさで光っている。たった一ミリずれただけでも、関係性はちがったものになるでしょうし、歩みも見え方もちがってくるわけです。このことは「縁」ということばで、ぼくの好きな親鸞という方が語っていることにも近いんじゃないかなぁ。

縁というのは、うれしいものでもかなしいものでもある。いや、それも見方次第かな。そういうものだ、と思うしかないようなことでもあるし。いまこうして読んでくれているのも縁ですし、読んでいないのも縁なわけですよね。ここ、もっともっと煮詰めて溶かしていきたいなぁ。


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