愛がなくても愛せるような

*見知らぬ人に、やさしくしたことはありますか。
ううん、この質問はちょっと答えにくいかもしんない。じゃあ、逆に、見知らぬ人にやさしくされたことはありますか?ならどうでしょう。注釈として「見知らぬ人」の部分には、そこまで仲良くない人だったり、はじめて会う人でも、なんだったら嫌いな人を入れたって良いです。そんな経験、ありますか?

たぶん、思い返してみたら一回くらいあると思うんですよ。そのやさしさが、心地よかったか迷惑だったとかは別としてね。あるんじゃないかな、そんなこと。

さっき代入した人たちはいわば、べつに自分のことを愛してくれてない人たちです。愛してくれているからやさしくしてくれるとか、そんなのとは関係ないところで、人にやさしく、愛がないのに愛を持って接せられたりってのができるんだと、ぼくは駅のホームで気がついた。よくよく考えてみたら、そういうのはすくなくない。

反抗的でも、きらいでも、大事にすることはできる。しなきゃいけないわけでもないし、するかどうかは別として、そうすることはできるんです。好きじゃなくても、愛がなくても、できることはある。世の中あんがい、”そういう”のは少なくないんじゃないかなぁ。愛しちゃいないのに、そこに愛があるようなことってのがさ。

「家族は好きじゃないけど、大事にしています」って言った人もいたなぁ。いいなぁと思った。


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