理屈のつかない感情

*ほんとうはもっと単純なのに、いちいち理屈っぽく説明してしまうようなことがある。もちろん、ぼくにもある。それがややこしいのは「考える」ということと、似ているところがあるからだ、とも思う。

映画なんかでも、こういう伏線が、どこどこのセリフが、背景が〜なんてことを言っちゃいたくなるよねえ。だから良かったと説明するときにも、だから良くなかったと説明するときにも使われる。もちろん、それはそれで素晴らしいんだけれど、もっと単純に「よかったんだよー!」でいいじゃないと思うことが、自分にも他人にもある。

例えば、一日に8時間の睡眠を取ったとして、一週間で56時間。一年なら8×365で2920時間にもなる。その睡眠時間を一時間削るだけで、一年に365時間浮くから好きなことができるんだよ!って言われたって、ふーんって鼻くそをほじりたくなっちゃうものだ。それならそれで、好きなことをやろうよ、でいいじゃない。1日に10円貯金したら、100年で36万円近く貯まりますよって言われてるくらい、想像しにくいもんね。

スカイツリーを見たって、「634mあるから高ーい!」なんて思わないじゃない。ただただ高いから、すげー!じゃない。で、それでいいじゃない。映画を見ても、絵を見ても、野球を見ても、とりあえず感動したなら、それでいいじゃないと思う。理屈はどこにでもくっつくから、それっぽい説明はできるんだけれど、理屈のつかない感情があることを認めないと、どこかで嘘をつくことになってしまうよなぁ。

考えることと、理屈のつかない感情を認めることは、相反するようでいて実はそんなこたぁないと思うんです。けっこう難しいんだけれど、考えたり思ったりしながら、ただただ単純に「すげー!」って言えるような景色やものや体験を、ただただ「すげー!」で終わらせたままにしておきたいなぁ。
この話も、ちょっと説明っぽくなってしまったかな。


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