キレイなワタシでいられない。

*久しぶりに銭湯へ行ったら「あかすり」という文言を見て、懐かしいなぁと思った。きょうび、あかすりなんて見かけることは少ない。小さい頃は銭湯に行けばどこにでもあったし、ぼくもしてもらったことはある。ゴシゴシやられて、「垢」がたくさん出るんだよねー。

アカスリされるのは苦手だったけれど、終わってから出た「垢」のかたまりを見て、喜んだことがあったっけなぁ。驚いてもいたよ、こんなに汚かったのか!というか、こんなにキレイになったのか、というかね。銭湯に行くたびに、父親に「今日はアカスリは?」って聞いてたりしたもんなぁ。

あの「キレイになる」という感覚は、おもしろいもんだ。アカスリもそうだし、マッサージとか、サウナとかもそうだ。ぼくは経験がないけれど、便秘の人なんて出たときにゃあすごく嬉しいって言うもんね。そういう、身体についている汚れや疲れを落とした状態になりたい、つまり「本当のワタシ」になりたいという気持ちは、きっと誰しもあるんだろうなぁ。
しかし、「キレイなワタシ」を求め過ぎたっていけないわけでしょう。

好きな人とのデート前に、身体についての身支度をしたりする女性は多そうだけれど(男性もそれなりに多いか)、それはあくまで「その日限定」であって、ずうっとキレイでいられるわけじゃない。毎日毎日「キレイなワタシ」でいるには、時間もお金もいくらあっても足りやしない。仮にキレイなワタシのおかげでお付き合いできたとしても、一緒に暮らしているうちに「キレイなワタシ」ではない状態がベースとなるわけだ。

それが自分で許せないって人もいるだろうし、その許容範囲はグラデーションでしょう。けれど、ずうっと「キレイなワタシ」ではいられないんだよなぁ。仕事したり遊んだり、飲みに出かけたり汗をかいたり、少しずつワタシは汚れていく。お風呂に入って寝て、また始まる。それくらいがいいというか、「キレイ過ぎないけれど、まあまあキレイなワタシ」くらいがちょうどいいんだろうね。

このことはそのまま、「ワタシ」を「アナタ」に置き換えてみて読み返してみると、おもしろいよー。キレイなアナタを求め過ぎていたり、逆にもう少し…って思う方もいるかもしんないな。


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