つくりたいものに、第三者の目を入れる。

*「編集」という立ち位置で、第三者の目が入ることは、たいてい、そのものを良くすることにつながります。デザインにしたって、文章にしたって、写真にしたって、料理にしたって、それらをまとめるにしたって、第三者の(願うなら、その道の人の)目が入るだけで、ぐんと良くなる。それは見た目の問題以上に、仮にそのままのものになったとしても、第三者の目から質問されたり、「?」を投げかけられたり、意見をもらうことで、自分では気付かなかったことが湧いて出てくる。そりゃそうだ、自分の世界だけで、全世界に投げかけるものをつくるには、ちょっと不安だものね。

走り方ひとつにしたって、そうだよねー。コーチに見てもらったりして、より良いフォームへと修正していく。自分でその姿を撮影して、自分で見返すことも、見返している自分に「他人」「第三者の目」の役割をさせて、走っている姿を見ることになるわけだし。仮に修正しなくても、うんうん良くできてるぞと、進むべき方向があっていると認識することができる。

ただ「芸術」とか「アート」と呼ばれる分野は、その人の世界を覗くようなものだから、入らない方がいいし、入ることはきっとほとんどないんじゃないかなぁ。描き終わってから「どう思う?」とかはあっても、細かい修正をすることはたぶん、ほとんどない。あったとしてもイチから作り直すか、意見を聞いた上で、当の本人が無視するか、なんて具合だろう。そういう分野のものは、他の意見どうこうよりも、本人がきちんと納得して、それを他の人たちに観てもらうものだしね。

ぼくは、自分の書く文章に他人の目が入ってもらって、あんまり良くならなかった試しがないんだよなぁ。それって、すごいことだと思うよ。意見をもらった上で変えなかったこともあるけれど、それでも見返したり誰かの目で確認してもらった方が、「いいもの」だと思える。目をかけるって愛情だから、かけた分だけよくなるってことでもあるのかもしれない。目でも手でも、手間暇かけた分だけ良くなるってのは、わりあいほんとうのことだと思う。


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