打席に立つのって、こわいよー。でも、でもだよ。

*入ったお店でたまたま流れていたプロ野球で、若い人が三振をした。実況によると、どうやら今日はこれで四三振だという。あ、四と三がくっついちゃったから変な感じになっちゃったね。その選手は神妙な顔つきをしながら、ベンチに帰っていった。

その姿を見ながら酒を飲み、おいらはいろいろ考えるのであった。打席に立つのって、こわいよー。ホームランを打てるかもしれないけれど、三振するかもしれない。ヒーローになる可能性もあれば、戦犯にだってなれる。今まで積み上げてきたものが報われる瞬間にもなれば、その積み上げてきたものが大したことなかったと実力不足を痛感する舞台にもなりえるんだ。それが「打席に立つ」ってことだ。けっこうこわいもんだよね。

でも、だ。自分に言い聞かせるように言いたいんだけど「その打席に立つことを、夢見てなかったか?」だよ。実力不足だとかそんなのはひとまず置いといて、その打席に立つことを夢見ていたときがあったはずだ。だからこそ、あんたはそこに立てているんだから。ミュージシャンや役者が大舞台を終えて感想を聞かれたとき「あの舞台に立つのが夢でした」とか「この舞台でやれるのが嬉しかった」って言うのはさ、ほんとうのことだと思うんだ。

上手く行こうが行かなかろうが、そんなものは結果だ。結果がすべてのなかの、結果というすべてだ。その「結果以外のすべて」のところに、その打席や舞台に立つよろこびってのはきちんとあるはずだよね。

告白だってそうだよ。打席に立つことだ。打席に立たず、えーえんに思いを伝えないでいるのもいいかもしんないけど、たとえふられたとしたってさ、それはきっと素晴らしいことだよ。打席に立ったんだもん。打席に立たなきゃ、どうなるかも分かんない未来に悩み続ける日々だ。

牙は、磨くためにあるんじゃない。その牙でがぶっと噛むためだ。船は、船着場にあるもんじゃない。広い広い海原に出るためだ。おいらもあんたも、打席に立ったあとの結果どうこうよりも「まずは打席に立つために」流した汗ってもんがあったはずだよなー。


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