言いにくいことをちょっと

*ちょっと言いにくいことを今日は書いてみるよ。
「炎上」ということばが、現代にできた。不倫とか不適切な発言とか、そういうのをみんなでよってたかって、正しくしちゃうようなことだ。いや、これはわるく書きすぎたな。「それはちがうよ」とか「もっと言い方あるんじゃない?」みたいなことを、みんなで言い合ってるのかもしれない。もちろん、嫌なことを言われたら、誰だって怒りたくなるものだ。ぼくだってそうだ。それを否定するつもりはないし、自分がそうじゃないわけでもない。

しかし、だね。炎上という文化ができたおかげで、よくもわるくも、ものすごく発言に気をつけるようになった。それはいい意味でもだし、わるい意味だと、どこから矢が飛んでくるか分からない状態になった。もはやどこからも矢が飛んでこない発言は、誰の心にも届かない発言だと言っていいかもしれない。そりゃそうだ、「かわいいね」っていうことばひとつだって、褒め言葉だと捉える人もいれば、嫌味と捉える人もいるだろう。

世の中全体が、まっしろを求めているような気がするのだ。まっしろでまっさらで、なんの汚れもないものを求めているんじゃないか。それは社会全体の流れとして、そうなのだと思う。社会全体と個々人のあいだでは、ちょっとした乖離があるけれど地続きでつながっているとは思うんだよな。人間って複数単位でみたときと、この人って単数単位で見たときに、ちがったりすることだってある。ま、それもよくもわるくもだろうけど。

ただね、まっさらでまっしろな人なんていないと思うんだよ。みんな多少なりとも、よごれている。はっきり言おう、よごれちゃってるんだよ。これはどうにも仕方ないことだし、当然だと思う。今まで生きてきて、わるいことをしたことがないって人や後悔のない人なんていないんじゃないかなぁ。もっといえば「わるいこと」なんて、自分が気づいてないことの中に含まれているようにも思う。

まっさらで、清廉潔白を求めすぎない方がいい。水準を低くしたほうがいいとぼくは思う。潔癖になりすぎてしんどそうな人、いるじゃない。本人は大変だと思うよ、気にしたくないことまで気になっちゃうんだと思うし。それを「人」にまで求めてしまうと、どうなっちゃうのかなぁ。自分がそこまで綺麗だと言える自信は、ぼくには到底ない。

よごれたり、うそをついたり、卑怯なことをしてしまったり、あくどいことを思いついてしまったり。そういうところから、始めるべきだと思うのだ。そんな人間だからこそ、たまにでも正しいことや、褒められるべきことをしたときにはたっぷり褒められればいい。でも、それができなかったからといって、蔑まれる必要はないはずだ。だって、もともとそんなもんなんだから。

ま、むずかしいね。なかなかちゃんと書けないけれど、人の汚れをどうこういう前に、自分の汚れを落とそうとしなさいってことを、言いたかったんだと思う。なかなか落ちない汚れもあるもんだよ。で、じつはそれが模様だったりもするわけでさ。


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