「おりじなる」をどうやって見つけるか。

*少し前に、ある話芸を観に行った。そこで、女性の芸人さんが出ていた。凛としていて綺麗な方で、品格があるのでステージにいるだけで引き込まれてしまう。しかし、正直なところ、その話を聞きながら、シロートがこんなことを言うのも大変恐縮なのだが、「もったいないなぁ」と思ってしまった。ほんとうに、恐縮なんだけどね。なにがもったいないかって、「声」と「話し方」が合っていないように感じたのだった。

漫才でもそうだし、落語や講談といった伝統芸能には、女性はまだまだ珍しい方だ。つまり、芸の伝統の軸には「男性」が口伝でやってきた、というものがある(のかもしれない)。その女性の話芸は、男性の「やり方」で、その方の声と気品、振る舞いに合っていないようにぼくには思えてしまった。もちろん、話自体はすごく上手なのだ。しかし、抑揚の付け方や声の出し方、展開の仕方が「男性のもの」のように感じてしまった。ここを「女性ならでは」もっと言えば「その人ならでは」にできたら強いんだろうなぁと、自分はやりもしないくせに、観客として正直に思ったのだった。

・自分の「おりじなる」とやらを見つけるのは、相当むづかしい。自分で自分のことはなかなか分からないし、自分のことしか分からないからだ。じゃあ、ぼくも「おりじなる」ってやつがあるのか?と問われれば、まだまだない。見つけれていない。自分の「おりじなる」とやらは、自分ではなかなか気付けないし、他人が教えてくれたことが合っているとは限らない。だからこそ、ものすごくむづかしい。努力もあるだろうけど、もはや運とか縁とかが必要なんじゃないか、と思うくらいだ。

そういえば、落語家の友人の九ノ一さんは、声と話し方がすごく合ってるんだよなぁ。聞けば、普段の言葉遣いから落語家になって身に付けたと聞く。自分でそうしたのなら、自己分析がすごく済んでいるだろうし、仮に偶然だったとしても、ちゃんと運が良いよなぁ。自分に搭載されている機能、持っているモノを、きちんと合ったやり方で外に出せるか。むずかしいことだからこそ、いろんな一流の人に聞いていくのもおもしろいかもしれない。


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