使っている筋肉がちがう

*お遊びでやってる、シロウトだらけの短歌会がおもしろくなってきた。ぼくの人生の中でも3本の指に入るほど影響を与えてくれている大先輩と、大阪の新進気鋭なスパイスカレー屋の店主も加わり、総勢七名で週に一度二首以上の短歌を詠んでいます。ちなみに今日が〆切だったんですが、なかなか個性のある短歌たちが揃いましたよー。

さて、一ヶ月ほど前から短歌にハマり、いろいろと書いてみたりしているわけです。ぼくは普段、エッセイを書くことが多いのだけど、おなじ「書く」ことにしても、使う筋力が違うんですよね。エッセイは物語としてメロディを重視したり、フレーズを挟み込んだりと流れの中で書いていくけれど、短歌は三十一音しかない。三十一音という限られた文字の中で、奥行きや情景を表現しないといけない。おなじ「走る」でも、短距離とマラソンどころか、100mと野球の盗塁くらい違うわけです。

ぼくのなかで、短歌でよく使う筋肉は、「視点を移動させる」部分かな。この筋肉をけっこう使う。テーマや対象を見つけたら、その相手や周りに意識を移してみる。想像力をつかって、「それ」を見ている別のものならどう思うだろう?と視点を移動させていくわけだ。もちろん、言い換えや言葉選びも大事だけれど、まずはこの「視点移動」の筋肉を使って書くことが多いように思う。

また別で、フィクションを書く遊びをやっているのだけど、これも使う筋肉がけっこう違うんだよね。で、どちらかに慣れると、もう片方をやろうとしたときにエンジンがかかるまでけっこう時間がかかる。100mの選手がハードル走でいきなり早いタイムが出せるわけじゃないように、調整の時間が必要になる。これは下手したらケガにもつながるようなことかもしれないけれど、まあ若いし大丈夫だろうとやっているんだけども。

いろんな職業やお仕事を「使っている筋肉」に焦点を当てて考えていくとおもしろいかもしれない。例えば、大工さんとプロボクサー。どちらも空間把握能力が必要だろう。陸上選手とお相撲さん。料理人とミュージシャン。一見、まったく別の職業なのに使っている筋肉が似ている、というのはあるんじゃないかなぁ。もちろん、その逆もしかり。


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