閉ざされた場所。

*2023年になって最初のよろこびは、去年からはじまった #ほぼ日5年手帳 が2週目に入ったことだった。これからは同じ日付が2週目なので、去年のその日、ぼくは何をしていて、どんなことを考えていたのか、手帳に書き残した文字から分かる。ぼくは手帳に予定を書き込むというより、その日起きた出来事や、考えたことについて記録しているので、去年も似たようなこと考えてたなぁとか、そういえばこの考えどこにやったっけ?と頭の中の引き出しを探る気分でもある。

手帳に書き残したことが、こうして毎日書いている文章の「たね」になっていることもある。し、自分の書くものの「素(もと)」になっていることもある。が、その数は決して多くない。誰にも見られない、閉ざされた手帳という場だからこそ、書き残せることがある。言い換えれば、書いたものを発信するほどのものではない、その資格がないことがほとんどだからだ。

すべての考えや気持ちが「発信」がベースになってしまうのは、ぼくはなんだか納得がいかない。考えや気持ちが生まれたり消えたりする頭や心という場所は、本来、閉ざされた場所だからだ。こちらから鍵を開けることがない限り、誰にも覗かれない、誰に見られることもない場所だからこそ、生まれる考えや感情がある。事実、ぼくの頭や心は、綺麗なもので埋め尽くされているわけではない。醜いものや、人には言えないような感情、言葉が蔓延ることもある。僕に語る資格がないようなことも考える。しかしそれらは「発信すること」を目的にしてしまったら、なかったことになってしまう。

「殺意は持っているだけなら罪にならない」と言ったのは、吉本隆明さんだったっけ。あの言葉には衝撃を受けたものだった。そうだ、心は閉ざされた場所だからこそ、持てるものがあるんだよなぁ。手帳もそうだ。閉ざされたものだからこそ、書き残せるものがある。こうして毎日書いていること以上に、心はたくさんのことを感じている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?