ぼくにとってのいい写真の定義が。

*あ、ぼくにとっての「いい写真」のふわっとした定義を、思いついたかもしれない。先に言っておくと「目を、景色を覗いているような写真」ってのは、ぼくにとって「いい写真」だと思う。

今まで「いい写真」というのがなんなのか、どんなものなのか、自分にとって、はたまた大多数にとって、まったく説明ができなかったんですよね。もちろん、「いい写真だなぁ」と思うことは何回かあったけれど、それが「なぜ」いい写真だと思うのか、説明がつかない。ただ、なんとなく、いい写真だなと思ったから、そう言っている。

べつにそれでもいいんだろうけど、やっぱり自分なりに知っておきたいし、突き止めたいじゃない。ぼくはどんなものを「いい写真」だと思うのか。ようやく、その答えの氷山の一角が見えてきた。「目に代わる」といってもいいのかな、そんな写真だ。

写真家が観てきた景色や、人や、風景を、のぞくように見れるもの。まるで、自分の代わりにその場所へ行って、人に会ってくれたような気分になるもの。旅先に持って行くビデオカメラじゃなくて、旅先にまるまる持っていく「自分のめんたま」の役割をしてくれるというかさ。

例えば入院してるおばあちゃんに、この前行った旅行の写真を見せるでしょう。こんなところで、こんなだったよー、みたいなね。あれはきっと、家族にとっていい写真なんですよ。おばあちゃんもその旅先の空気を共有できて、一緒には行けなかったかもしれないけれど、写真を通して景色を知れる。あれとおんなじことを、赤の他人にできる写真は、とんでもなくいい写真だと思うんです。ああー、うれしいなぁ。いい写真をもっともっと、観たいなぁ。

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