いつ、なにに、どう使うのか分からないけれど、いつか役にたつかもしれないもの。

*自分の部屋を見渡してみる。キャンプ道具に、服に、読んだ本が本棚に、まだ読まれていない本が机の上に何十冊、インテリアになんやらかんやら,,,ちょっと、我ながらびっくりするね。おれの部屋を埋め尽くしているもののうち、1週間以内に使ったものは、消費税程度しかないんじゃないか。

でね、お次はじゃあその空間を、自分の頭の中に移してみよう。いろんな知識や教養が、たぶん君の頭の中にも入っているはずだ。でさ、ちょっとキョロキョロ辺りを見回したり、詰められている箱を開けてみたりしてみてよ。そのなかで、必要なもの、使っているものっていったいどれくらいあるだろう?

「いつか使うかもしれない」「いつか役にたつかもしれない」そんな知識が、いっぱいあったりしないかい?
いつ、なにに、どう使うのか分からないけれど、いつか役にたつかもしれないもの。そんなものを集めるのが、じつは人間って好きだったりするのかな。
例えば、「お金」なんてのもそうだし、「筋肉」なんてのもそうだ。「知識」や「資格」、そんなのもかもねー。そういうのを多く持っていれば持っているほど、安心できる気持ちも分かる。でもそれ、ほんっとにいつ使うんだ?

後世、役に経つか分からないけれど、でも今の自分に必要なもの。それらを集めたりつどつど手に入れたりするほうが、よっぽど進んでいるとは言えないだろうか。まずはこの、詰め込み型教育の考え方から抜け出すところから、はじめてみるのもいいかもしれない。

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「サンドウィッチの語源を知ってるからって、なんだってんだ。それよりは、美味いサンドウィッチをつくれるほうがよっぽどいい」


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