動かしている筋肉じゃなく、勝手に動く筋肉に注目する。

*きのう、神戸にある本屋さんの店主と「本屋さんを営む上で、身についたスキルというか育ったものはありますか?むずかしければ、店内でよくやるひとり遊びとか」なんてことを話していた。発端はたしか「お客さんの買われていく本を見ながら、この人はこんな人かな〜なんて考えます?」だった気がする。誰しもが脳内で本棚を抱えていて、その読んだ本や触れたことばたち、考え方によって形成されている、というのがぼくの考えでもある。

「それはもちろん思いますね」と店主。思うのだ、とぼく。書店を営んでいて、そこに何度も足を運んでくれるお客さんの人となりを「買った本から想像する」というのは、たしかに書店員さんの楽しみのひとつだ。し、おもしろいスキルというか、筋肉だなぁと思う。それが当たっているかどうかは別として、他人のことを「買った本から考える」ことは、普段あんまりないよね。そういう意味では、その人はその筋肉が人より発達していると言える。

昔、交通量を数えるバイトを一度だけやったことがある。あの、椅子に座って機械をカチカチしてカウントするやつね。あれ、もんのすごい暇なのよ。うっかり考え事をしようものなら見逃しちゃうし、目と心はある程度そっちに向けないといけない。でも暇だから、なんか遊んでないとやってらんないわけ。そうしてぼくは、通った人が次に左右どちらに曲がるかとか、さっきまでどこにいて、これからどこに行くのかを勝手に考える遊びをやっていたのでありんす。この遊びは今でもやるので、ぼくはその部分の筋肉が人より発達していると言えまいか。

こういうのがね、それぞれの仕事の中にあると思うんですよ。魚屋さんが魚を目利きしているうちに、細かいところまで見るクセがついて、絵画への理解が深くなったとか。寅さんみたいに客に啖呵を切って商売をする人が、喋りが上手くなって噺家になったとか。そういう、仕事の中で「主として使う筋肉」の隣で「主筋肉を使う上でこの部分の筋肉も勝手に動いている」みたいなところが発達していくというかさ。

そういう連動的に動く場所が、副作用的につく筋肉が、じつは主よりもその人を形作っている、みたいなことがあると思うのさ。ぼくはこれを「まかないめし」と呼んでいて、誰かにお仕事の話を聞くときに、聴いてみたいポイントなんだよね。農家さんが歌いながら作業をしているうちに、歌がすごく上手くなっちゃったみたいな。

動かしているつもりがないのに、勝手に動いて発達していく筋肉。そういう部分がきっと同じことを続けている人にはある。特に一流の人なんて、その部分の筋肉が異様に発達していたりする。その発達した筋肉をつくった「主の動き」ってなんなのか?と逆算するのもおもしろいんだよなぁ。これは他人にも言えるし、自分だってそうだ。こうして毎日文章を書いているうえで、「書く力」の隣ですくすくと育っている能力がある…と、信じてみたいだけかも。


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