もっと上手になりたいっ

*文章を書く仕事をはじめて3年とそこらが経った。今思えば、なんとも不安定で、かつ目に見えない判断基準の仕事についてしまったもんだよなぁと思う。何時から何時まで働けばお金がもらえるという仕組みでもない(良くも悪くも、です)。この前ちょっとしたインタビューで「どうしてこの仕事に就こうと思ったんですか?」と聞かれたとき、ちょっとばかし若い時分のことを考えて「自分にはその才能があるって勘違いしたからだと思います」って答えたんだよなぁ。あれはまさしく、本音だしその通りだと思う。

書く仕事を本格的に始める前、自身のブログがそれなりにバズっていた時期があった。ちょっとした芸能人の方にも読んでもらえたり、シェアしてもらったりして、PV数は数万を超えていた。たぶん、あれが勘違いの始まりだったんだよなぁ。「やっぱりおれ、こういう仕事向いてるかもしんない!」と半ば強引に書く仕事をイチから独学で始めてというもの、ぼくは実力不足を痛感してばかりいる。同時に、もっと上手くなりたいなぁと思う。

「好きこそものの上手なれ」もあるけれど、同じく「下手の横好き」ってのもあるもんだ。もちろん、素人に比べたらそりゃ技術も知識も経験もあるけれど、この世界においてはまだまだへたっぴだもんね。ただ、ふと思ったんだけど、ぼくはたぶんこれからもずうっとへたっぴで「上手になりたいなぁ」って思い続けてるんじゃないかなと思ったのだ。おこがましいことを言ってしまえば、第一線で活躍しているプロフェッショナルたちはみんな、「もっと上手になりたいなぁ」って思ってるのかもしれない。

イチローも、藤井聡太も、宮崎駿も、もしかしたらゴッホですらも「もっと上手になりたいなぁ」と思っているのかもしれない。いや、思っていそうだ。もちろん自分の秀でた部分については把握しているだろうけど、それを何かと比べてか、もしくは比べずにか「上手になりたい」と思っていそうだ。じゃないと、あれだけ努力も研鑽もできないだろうし、楽しめないような気がしてくる。背中が見えないようなプロフェッショナルでさえ、そう思っているのかもなぁ。

話は変わるようで変わらないけれど、藤井聡太さんがインタビューで「将棋の神様がいたら何をお願いしますか?」って聞かれたときに「ぜひ一局手合わせしてみたいです」って答えたのも、あれは「もっと上手になりたい」からきてるんじゃないかな。

「モテたい」とか「夢中で始めた」とか、動機はそれぞれあるだろうけど、始めた動機はいつしか忘れて「もっと上手になりたい」へ変わっていく。これ以上、上手くなりっこないや、なんて地点はあるのだろうか。山頂についても、さらに高い山が、もっといえば空の広さや宇宙の大きさが、今度は見えるようになるのかもしれないよなぁ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?