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誕生日に、遺影を取りに行く。

*今日は朝から、とある場所に行きます。とある場所、と言っても、地図記号程度のおおまかさしか決まっていないのですが、行きます。何をしに行くのかと問われれば、「写真」を撮りに行きます。正式に言えば、撮られに行きます。何の写真なんですかと問われれば、「遺影」を撮りに行くのです。念のため書いておきますが、なにか病気にかかったというわけでも、余命宣告されたわけでもありません。

じつは今日、11月27日は、ぼくの28歳の誕生日なのです。毎年、一年の中でいちばん苦手な日が誕生日でした。お祝いされたりされなかったり、特別な日として過ごそうとしてみたり、何もせず過ごそうとしてもそれはそれで寂しかったりと、ややこしい日です。街に出て「おれ、誕生日なんだよ!」と言える性格でもないですし、どちらかというと静かに気にせず過ごしたいけれど、メッセージをいただいたりして、その返信に追われたりするような、なにかと忙しない日で、じつは苦手な一日でした。

そんな誕生日という日に、遺影を撮りに行こうと思うのです。それもできれば、今年から始めて、毎年の恒例行事にしたいと思っています。地図記号程度のおおまかな場所しか決まってませんが、その場所で、毎年、遺影を更新していこうと思います。思えば、別に遺影なんて何枚あったっていいものね。意外と、遺影をどれにするか決まってないなんてことは多いみたいですし。

どんな場所で、どんなふうに撮るのかも、自分で考えて決めています。お葬式は、亡くなった人のためというより、生きている人のためにあるものですから、遺影くらいワガママ言ってもいいか、と思って決めました。どんなお葬式になって欲しいかなぁと、自分が主催するイベントのひとつだと思って考えました。そのワガママな「遺影」を撮ることを、一年に一度のワガママを言っても怒られにくい日ならいいか、と誕生日に撮ろうと決めたのです。遺影をこれにして欲しいなんて、誰が求めてることでもないし、ぼくが求めていることだしね。

この「遊び」が、ほんとうに毎年続くのか分かりませんが、けっこう楽しみなんですよね。毎年、生まれた日に死ぬときのことを思って写真を撮ってもらう。重苦しくもなく、お小遣いからケーキを買って食べるような感覚で、今年からやってみようと思います。我ながら、いい遊びを考えたものだなぁと、自分のことがちょっぴり好きになっちゃったぜ。


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