「耕す」って、いいなぁ!

*「耕す」ということばを、ふいに、いいなぁと思った。きっかけは土屋耕一さんの本を読んでいたことだ。中身内容はもちろんだけど、なんべんも出てくる著者の名前の一部である「耕」という字が、みょうにいいものに見えた。「耕していこう」と言ってしまってもいいかもしれない。

「耕す」という意識というか、観点というか、気の持ちようというか、そういうのを持って、臨んでみたり生きてみるのはどうだろう。自分を磨くでもなく、努力するでもなく、「自分を耕す」。人生を歩むでもなく、誰の歩んだことのない道を開拓するでもなく、「耕していく」。ちょっとだけ、呼吸がラクになった気がしませんか。おいらだけかな。

人と人との関係性だってそうだ。急ごうとせず、ゆっくりと時間をかけて耕していけばいいのだ。くわで土をマッサージするように掘り起こしたり、その土にいろんなタネを蒔いてみたり、水をやったりお日様をあてたり、たまにほったらかしにしたりしながら、耕していく。自分にとって居心地がいいように、耕していくのだ。

思いがけないところから芽が出たり、虫や動物たちが寄ってくるかもしれない。寄せ付けないようにしたっていいし、迎え入れたっていい。それをどうするかも、自分次第だ。自分の好きなように、自分の好きな環境にできるように、耕していけばいい。コントロールするのではなく、耕すのだ。耕すというのは、どこか「人事尽くして天命を待つ」みたいなことに近いのかもしれない。

耕していこうよ、いろんなものをさ。おいらとあの子の関係も、これからやるお仕事も、休みの日も、趣味も、ごはんも、耕していこう。あたらしい自分に出会ったり、好きなものを見つけたり、なんじゃこりゃって驚いたりしながら、時間をかけて耕していく。だからこそ、実ったときのよろこびもひとしおでしょうし、耕すことって、それ自体が面白いというか、いいんだよな。今いる場所がコンクリートだとしても、耕して、広げていく。そんなことが、じつはできるんです、おいらも、あなたも。


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