稲刈りを終えました。

*きのう、春終わりに植えた田んぼの稲刈りをしてきましたよ。もう、筋肉痛でね。けっこう大変な作業だった。500平米ほどある田んぼを20人くらいでせっせせっせと刈っていくわけだ。ぼくらは手植え手刈り、脱穀まで手でやってるもんだから、けっこうな仕事量なんですよ。そりゃ機械使った方が楽だし、捗るし、いいよと思う。でもぼくらは農家さんじゃないもんだから、そんなふうに好き勝手やらせてもらってるわけですけどね。

毎回、顔見知りの人もいれば初めての方もいて、いろんな人たちがひとつの田んぼに入って、植えたり刈ったりをします。隣で作業してる人と「暑いですねー」なんて言いながら、ザクザク稲を刈っていきます。話を聞いたり、喋ったりしながらやるんだけど、量が多いもんだからそのうち皆んな黙々と刈っていく。でもその黙々と作業をする雰囲気が、昨日はけっこう良かった。黙ってただ自分の作業をする、あんまり良い雰囲気には見えないかもしれないけれど、流れている空気がすごく良かったんだよねー。

「場」というのはほんとおもしろいもんで、そこにいるひとりひとりによってつくられる。お客さんと店員さんに分けられる場合もあるし、そうでない場合もあるけど、関係なくひとりひとりによってつくられる。場を良くするための仕掛けが物理的にも空気的にもあったりするし、町の公園みたいになーんにも仕掛けがないまま、ただ遊んでいるときもある。場をいい雰囲気にしようと意識的につくっているときもあれば、無意識がおおきくはたらいて場をつくることもある。そういうのも含めて、「場」はそこにいるひとりひとりによって、つどつど変化しながら完成されてゆく。

そこに流れる空気感を遊んでもいいし、変化させようとしてもいい。見守ってもいいし、俯瞰的に見てもいい。そういうのができるのも場のおもしろさだろう。きのうはきっと、誰ひとりとして場を管理するものがいないのがよかった。それぞれがそれぞれに声をかけたり、黙って作業をしたりして、場がつくられていく。これはたまたまできることでもあるし、狙ってやろうと思えば技術がいることでもある。ぼくは「場」の空気にそれなりに敏感なもんだから、昨日の雰囲気はふしぎだったんだよなぁ。みんなの無意識でつくられた空気感が、とっても心地よかった。こういうのをさ、狙っても狙わなくても作れたら、おもしろいよねー。「そういう空気が勝手に、いつのまにか流れている」。そういう場が、ぼくは理想だなー。


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