おぼえている、つまりおぼえられている。

*ぼくは、呑み屋でも、どこでも、誰かと会話をするときに決めていることがある。「人の悪口を言わない」だ。もちろん、100%守れてるかって言われたら、あやしいかもしれない。いや、でも、こういうのは100%じゃないと意味がない気もするな。あくまで、ぼくのなかでの話だよ。

なぜしないかの理由はいくつかあるんだけど、まず大きく、聴いていて何一つおもしろくないからだ。9割8分はこれに尽きる。人の悪口を聴いても、なんにもおもしろくない。自分が聞かされるのが嫌だから、もちろん誰かの悪口を言う人も空間も嫌いである。そんな話をするくらいなら、もっとおもしろい話をしましょうよ、と切り出せる力も最近すこしずつ養えてきた。

でね、さまざまな場所で飲んでいて思ったことだけれど、悪口を聞かされるのが嫌いなぼくでさえ(だからかもしれないが)、誰がいつどこで誰の悪口を言っていたか、案外おぼえているものなんだ。これには、ほんとびっくりした。悪口を聞かされるのが嫌いだからその時間も記憶もなかったことにしようとするぼくでさえ、おぼえているんだぜ?ってことはたぶん、ふつうにみんなも覚えてるよ。それはすなわち、おぼえらえれているよ。

そんなことを彼女と話しながら、やっぱりだめだねーと思った。悪口を言うのは、よくない。なにひとつおもしろくもないし、得もしない。でね、やめれないものでもないはずだよ。あと、身を以て分かったのが、悪口を聞かされた人間は、あんがいおぼえているもんだぜーっ。


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