お弁当は、お手紙だ。

*そういえばこの前、「弁当の日」って映画を観たんだけど、お弁当を久しぶりに食べたいなぁと思ったのだった。それも、買って食べるやつじゃなく、もらって食べるほうね。あれ、いいよねえ。おいしいとか以外のところに、お弁当の良さってあるじゃない。

思い返せばぼくも、昔はお弁当をつくっていたもんだ。一緒に暮らしていた彼女が保育士で朝早いもんだったし、どこかにランチに出れるわけもなく、コンビニとかで済ませていたのを知って、ぼくも朝6時に起きて、平日はほぼ毎日お弁当をつくっていた。もちろん冷凍食材を使うときもあったけど、できるだけ手作りで、その前日の晩御飯の残りとかもうまく活用しながら、約1年間ぐらいお弁当をつくっていた気がする。でも、ぼくのお昼ご飯はといえばランチに出かけたり、買い食いだったりするから、なんだか不思議だなと思っていた。自分のためにお弁当を作ったこともあるけれど、なかなか作ろうとは思わない。

お弁当の良さは、手紙に似ていると思うんだ。今ではない、ちょっと前の思いがそこに保存されていて、それをいま感じれる、ってところ。手紙だって、書いてすぐ届くわけじゃないんだ。出して届くまでに時間は必ず経っているわけで、そのときから今までの時間の経過を経て、届くってところが手紙はうれしいんだろうね。だから、未来の自分に宛てて書いた手紙だって、自分からなのにむずがゆかったり、うれしく思うわけでしょう?

自分が自分につくったお弁当だとしても、それは過去の自分から、今の自分への手紙みたいに思う。朝の自分から、昼の自分へ。おなじ自分なんだけど、ちょっとだけ他者というか、ずれたところからもらうから、お弁当はおいしいんだ。自分の作った料理をその場で食べるのとは、ちょっとわけが違うよね。

お弁当は、てづくりのプレゼントだ。手紙だ。ことばじゃないだけで、食材一つ一つに思いが込められているよねー。ああ、お弁当がつくりたくなってきた。ああ、お弁当が食べたくなってきたよ。


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