安土桃山でも夢中になったか?

*むかし、友人とおしゃべりしながら野球の起源について考えていたことがあった。野球のはじまりは、いったいどんなところからだろう?なにかを丸めてひょいっと投げたのを、木の棒かなにかで打つところから始まったんじゃないだろうか。ここまではある種、思いつきやすそうなところではあるけれど、じゃあ、もう少し細かいルールを見ていくと、どのように決まっていったのだろう?

例えば、「ストライク3つで三振(1アウト)」というルールは、どのような経緯で決まったのか。そもそも「ストライク」はどうやってできたのか。きっと最初はピッチャーが相手というよりも、ただの「投げる人」で、遠くに飛ばしたら勝ちというルールのもとやっていたんじゃないか。ただそれでも何度も空振りするもんだから、「じゃあ、3回空振りしたら交代な!」って子どもがルールを独自に作っていくような感じで、だんだんとできてったんじゃないのかなぁ。

そのうち攻守ができてって、「塁」というのもできてって…このへんまでなってくると複雑化してくるけれど、最初の「野球がどうやってできたか?」くらいなら、考えるのはおもしろい。し、昔の人にだって説明できるレベルのものになるだろう。「棒で、なんか丸いものを打つんです」みたいな具合にね。

この「昔の人に説明して伝わるかどうか」って、けっこう大事だよ。例えば「じゃんけん」なんてのは、昔の人に説明したってきっと理解してもらえるはずだ。「グー」は「チョキ」に強くて、「パー」は「グー」に強くて…といった具合で説明すれば、理解して遊んでもらえるだろう。これは「じゃんけん」というゲームが至極シンプルで、誰にでも理解できる水準で説明が可能だからこそ、できることだ。「野球の起源」ぐらいなら話せても、現代の野球のルールをイチから説明しようとしてもむづかしい。ルールブックなんてのもあるぐらい複雑化しているわけだし。

「それって、昔の人が見て理解できるかな?遊べるかな?」という指標、質問は、なにかゲームや遊びをつくるうえでおもしろい視点かもしれない。つくっているものが、つたえたいものが、どれくらい多くの人に同じ水準で伝わるか?江戸時代の人も、もしこれがあったなら夢中になっていただろうか?とかねー。


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