共同体と孤独について

*今日はひとつ、いろんな共同体について考えてみよう。いや、というのもね、人間はやっぱり誰かと生きたいわけじゃない?それこそドカンとおおきなものは「家族」ってのがあるだろうし、そうじゃなくても最近「シェアハウス」だとか、暮らすことを一緒に営む形式が増えてきている。それをテレビにしたのが「テラスハウス」だろうし、「暮らす」ということについて、少しずつ開拓されてっているとでも言うのかな。

ぼかぁね、人間同士というのは「好き同士」であれば、そこまで問題は起きないと思ってるんだ。それが「家族」という単位であっても、もちろん問題に直面することはあれど、そこまで数は多くならないんじゃないかなぁ。好きって気持ちも点ではなく線だから、ま、むずかしいことかもしんない。

これが「家族」じゃなくなると、「恋愛」というのが入ってくるね。こいつが余計に問題を発生させる。たとえばテラスハウスとか、恋愛ドラマなんてそうでしょう?お互いを好き合っているのに、恋だの愛だの言ってややこしくなっちゃうわけだ。じゃあ恋愛に発展しなかったら…と考えるのは野暮かもしんないね。いずれ発展する可能性だって含んでいるし。

とまぁ、さんざいろいろ書いたけど、人ってのはそうまでして「好きな人と一緒に暮らしたい」わけだね。これが一般的な意見とまでは言わないけれど、今までも事実そうだったわけだ。家族が欲しいと言うのも、好きな人と暮らしたいに言い換えてみても、とくに問題はなさそうだ。ただ、好きな人と一緒に暮らしたからといって、人は孤独じゃなくなるわけじゃない。これもまた、共同体と人間のおもしろいところでもあるんだよなぁ。実体験としてそう考えると、孤独というのはどうやら、誰かといたから消えるものでもないらしい。


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