思惑のない場所。

*新年早々、けっこうな人数がいる場での会議があった。年代は二十代から五十台まで、エラい人からエロい人まで、そうそうたる人たちが「会議室」と呼ばれる殺風景な部屋にすし詰めになっている。正月とは思えないほど、色とりどりではない。モノトーンで、むしろ冠婚葬祭に近い。(でも冠婚葬祭に出てくる料理って色鮮やかだね。あれは人々の服装がモノトーンだからなのかなあ?)

ある企画の会議で集まってはいるが、それぞれの出身はちがう。代理店、クライアント、実際に手を動かす人、なんかその分野に詳しそうな人たち。少なくとも4つの組織が、1部屋に集まって会議をしている。ぼくは末端の末端、足の小指の先っちょくらいなのでのほほんとしていたが、話を聞いているうちにそれぞれの「思惑」が見え隠れしていることに気付く。

安く済ませたい、予算が増えても良いものを作りたい、とにかく早く終わらせたい、眠たい、ウチのテイストに合っていない、あの人を説得したい、お昼はカツ丼が食べたい…。よくよく考えてみればある程度オフィシャルな場には、それぞれに思惑があるのかもしれない。その思惑をあっけらかんと伝える場合もあれば、水面下でそうなるように動くこともある。こりゃたいへんだなぁと思いつつ、ぼくはどこのカツ丼にしようかなぁと考えていた。

場にいる誰もが「思惑」を抱えている場合は、ちょっとややこしい。しかもその人数が多いとなると余計にたいへんだ。みんなの思惑を叶えるウルトラCなんて、基本的には存在しない。あっちを立てればこっちが立たず、じゃあどっちを立ってますか?それとも、みーんなちょっと低いところで落ち着きませんか、なんてのが交渉術なのかなぁ。

こうした「思惑」がない場というのも、もちろんある。ふらっと入った立ち飲み屋で、隣のおじさんと話すとき、(たぶん)ぼくらのあいだに思惑はない。お茶の間で家族とご飯を食べているとき、なーんの思惑もないと思う。そういう「思惑のない場」で人と関わったり過ごしたりする機会や時間が、できるだけ増えたら良いなぁと思う。なーんの思惑もない場で、礼節を重んじて出来るのが、友達ってやつなのかもねー。


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