わるくないよねえ、これも。

*「幸福度」という指標がある。ことばどおり、どれくらい幸福かどうか、という主観的なものをあらわすものだそうだ。その指標は、「国内総生産(GDP)」「社会保障制度などの社会的支援」「健康寿命」「人生の自由度」「他者への寛容さ」「国への信頼度」といった、6つの項目で決められるらしい。さっと調べただけなので詳しいことは知らないけれど、そんな指標があるんだなぁ、と。

例えばこの「幸福度」ってやつを世界中のひとりひとり調査して、合計して、さらにそれを平均して配り直したとしたら、いったいどうなるんだろう?と考えてみる。数値上では、低くなるのか、高くなるのか。数値ではない心の部分では、いったいどうなるんだろう?とか考えてみたんだけど、仮に幸福度の高い人がいたとして、仮に合計して平均した幸福度を受け取ったとしても、変わらず幸福であるって人がいるんじゃないかな。

トリックでもなんでもなく、ただの「捉え方の違い」である。コップに半分水が入っていて、半分しかないと思うか、半分もあると思うか、くらいのことだ。しかし、たった捉え方の違いひとつで、変わっちゃうものでもあるんじゃないか、と思う。月並みで使い古されたことばだけど「幸せを感じれる人が幸せ」というのは、真実だから使い古されているのかもしれない。

「欲望」というものはキリがないけれど、欲望がなかったらここまで社会が発展してこなかったのも事実だ。欲望がなければ、枯れていくかもしれない。ただ欲にまみれた人の終着点のような物語はたくさんあるし、誰だってあんまりだなぁって思うでしょう。その塩梅というか、コントロールが自分でもむづかしいんだけど。

この前、行きつけのバーのママが「朝にコーヒーを飲みながら、自分の人生をふと振り返って、大したことないし、お金もそこまであるわけじゃないけれど、悪くないと思ったんだよね」って話してたんだよなぁ。「ま、悪くないか」って思えるのは、かっこいい諦めのようにも思ったのだった。


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