プレゼンテーションよりも。

*ありとあらゆる場所の、ありとあらゆる方向から、ありとあらゆる媒体を使って、「広告」が飛んでくる世の中になった。ビルを見上げれば大きな看板に「おいしい!〇〇」なんてのがでかでかとあって、電車の中には「楽しい旅行、〇〇」みたいな広告が貼られている。スーパーに行けば「今日は〇〇がお買い得です」といった耳から入るタイプの広告が流れていて、ありとあらゆる手段で、ありとあらゆる方向からぼくたちは広告を受けている。

しかし、広告というのはあくまで「宣伝」だ。グルメロケでタレントが「マズい」と言ってるのを見たことがないように、誰だって自社の製品や宣伝したいもののことを、まずかったとしても、とても「まずい」ふうには言わないだろう。しかし、言わない時点でそれは宣伝であって、広告だ。ほんとうにおいしいかもしれないし、ほんとうにお買い得かもしれないし、ほんとうに楽しいかもしれないが、それはあくまでプレゼンテーションだ。

「これ、どうでしょう?」よりも、そのものを体験した「これ、よかったよ」のほうが、はるかに価値が高い。価値が高いというか、ほんとうなのだ。ほんとうのところは、プレゼンテーションをする側にあるのではなく、いつだって、受ける側、体験する側、使う側のほうにある。作り手や送り手のプレゼンテーションはいわば、「ぼくはきみのことをこれだけ愛しています」めいたことで、どれだけ愛されていると感じているかは、受け手が感じた分だけ決めれば良いことなのだ。

あらゆるところから、「これ、おもしろいですよ」「おいしいですよ」「いいものですよ」がやってくる。広告という名の提案、つまりプレゼンテーションで、発信者からの情報なのだ。飲食店で「どれがおいしい?」って聞いたら「どれもおいしいですよ」って返ってくるようなことで、ほんとうのところってのはお客さん側、受け手の側にあるんだよなぁ。断る権利や、どう思うかの自由も含めて、受け手の側にほんとうのところはある、というかさ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?