事情はみんな持っている。

*「理屈と湿布はどこにでもくっつく」なんてことわざが、どこかになかっただろうか。なかったなら、いまぼくがつくったことにしといてくれていい(たぶんあったと思うんだけど)。いや、ふと、そんなことを思ったんですよ。「事情」っていうのは、我々がそれぞれに、みーんな持っているものなんだよな、と。私もあなたも、あいつもあの人も。それぞれに「事情」を抱えている。

この「事情」とやらは、それぞれに話を聞いていけば、ちらほらと出てくるんですよ。もちろん、トンチンカンな事情を言う人だっているかもしんないけれど、たいていの場合は、それなりに共感できる事情を持っています。「ああ、そうだね、あなたの立場だとそう思うかもしんないね」とか「なるほど、そんな背景があったのか」なんてのが、ほんとそれぞれにあるじゃないですか。

で、やっぱり、その「事情」ってのを聞くと、共感します。共感とまではいかなくても、すくなくともその人がなぜそう思っているのか、その意見なのか、「理解」ぐらいまではできるでしょう。ただ、大切なのは、そこからだ。事情を聞いたからといって、解決はしないのである。

「で、どうしよっか」なのだ。「事情」はもちろん、それぞれにあるのだけれど「事情」は、けっしてなにかを解決してくれるわけではない。起きた問題や、解決したいこと、突破したい壁、行きたい場所、叶えたいことに向かって進むには、事情は役に立たない。それぞれに事情があることを知った上で、どうする?でしか話は進まないものねえ。

ここで事情を武器に、反発しあってもよくない。問題は対立的にではなく、協働的に解決すべきものだ。どっちが得とか損とか、そんなの考えてる方が、損だよねー。(あれ、考えちゃってた?)

「事情はある。それぞれにある。しかし、大切なのは事情じゃなく、今どうやって前に進むかだ。」なんて名言を、誰かエライ人が残しているかもしんない。いないかもしんない。


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