位置エネルギーというものが。

*ほんとうはあるのに、ないことになってしまっていることがあるように、ほんとうはないのに、あることになってしまっていることがある。ぼくはそんなことのひとつを、仕事で取引先と打ち合わせをしながら考えていた。そのひとつを「位置エネルギー」と呼んでいる。

人と人とのあいだに、ほんとうはフラットで、対等なはずなのにそうじゃなくなってしまっている。主に「肩書き」とか「関係性」のせいなんだけどね。一万円札の人が言ったように、どっちが上も下もないはずなのに、なぜか上下が生まれてしまって、発生してしまっている「位置エネルギー」というのがあるもんだ。

クライアントと請負人とか、先生と生徒とか、親と子とか、恋人同士でもそうなってしまっているケースもあるかもしれない。書き手と読み手、アーティストとお客さん、わたしとあなただってそうだ。そこには垣根も上下関係もほんとうはないはずなのに、あることになってしまっている。「位置エネルギー」めいたもののせいで、阻害されるものや言いにくくなってしまうことが実はある。もちろん、その「おかげ」もあるかもしれないけれど、その「おかげ」がなくても、きっとどうにだってできるんじゃないだろうか。

いまさらこの「位置エネルギー」をゼロに戻す、均すのはなかなかむずかしい。それこそ本当に「人と人」でお互いに接しなければいけないし、そう接したとしても、引け目を感じたり、偉そうに何かを言ってしまいたくなることもある。自分だけがゼロに戻したつもりでもいけないわけだし。あ、先輩後輩なんてのも、ひとつの位置エネルギーだよね。

ただやっぱり、意識することはできると思うんだよねー。その「位置エネルギー」があること、発生していることを自覚した上でコミュニケーションをとったり、それをなくそうとはたらきかけたりすることはできる。で、意外かもしれないけれど、この位置エネルギーを均すために、均してからも良い関係が続くためには「礼儀」というのが大切だと思うんだよなぁ。礼儀こそがそれをゼロに近づけて、かつ、ちゃんとした距離と関係を保ったまま、わたしとあなたを繋げてくれるんだと思う。


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