誰かの椅子を奪うことなく、自分の居場所をつくれたら

*そもそも、場所なんて用意されていないのだ。有名人とか、その道の第一人者とか、なんだか偉い人でもない限り、いやそうであったとしても、だいたいは「自分の場所」なんて用意されていない。そのことに、ちょっとずつ気がついてきた。ぼくの場所なんて、さいしょからぽっかり空いているわけじゃないんだよ。居場所なんて、ね。

ぼくが生まれる前はじゃあ、ぼくの場所がぽっかり空いていたかい?そんなことはないだろう。ぼくがいなくても、世界は完璧すぎるくらい回っていたんだから。

「居場所なんて、自分でつくるものだろう」と思ってきた。むしろ、そうやって生きてきた。気遣いとかキャラクターとか、その場その場の足りないところを探しては流れ着き、なんとかする。もし自分が得意としている椅子に誰かが座っていたら、勝負することになる。勝ったら、椅子はぼくのものだ。負けたら、違う椅子を探すか、その教室から出て行くしかない。そんなことを思ったりもしていた。だから1年ぐらい前の手帳に「誰かの椅子を奪うことなく、自分の居場所をつくれたら」とメモを残していたんだと思う。

でもさ、よくよく考えたらだよ。椅子がなかったら、立ってりゃいいじゃない。売り場がもう空いてないんだったら、お客さんになればいいじゃない。お客さんになることは、誰にだってできるよ。お客さんを楽しめば良いんじゃないか、と気がついた。それに、お客さんは何人いたっていい。お客さんがお客さんを連れてきたっていい。すくないより、おおいにこしたこたぁない。

そうか、「居場所」は、椅子取りゲームじゃなかったのか。空いてなかったら、つくればいい。つくれなきゃ、お客さんになれば良い。そんな単純なことを気づくのに、何年もかかっちゃったなぁ。


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