ちゃんと負けておくこと

*いまから、二十六歳の若者にしてはエロそう、じゃなかったエラそうに聞こえることを書いてみます。これを読む人は、ぼくを知っていようが知っていなかろうが、エラそうだと思うかもしれませんが、微熱程度のあたたかい目で、見てやってください。あ、おおむねというのは、大胸じゃなくて、概ねのほうだからね。

ぼくはこう、器用貧乏なもんだから、ある程度のことはソツなくこなせる自信があります。だいたいのことは60点は取れるんじゃないかなぁ。短い人生経験としてもそういう自負はあるし、器用貧乏について悩んでいるぐらいだし、周りからも「なんでも出来ちゃうね」と言われるくらいだから、たぶんほんとうのことだと思う。ま、出来ちゃうと言っても、平均よりほんの少し上を取れる程度なんだけど。

このことは何も、器用貧乏だけが理由じゃない。「それっぽくなんとかしてしまう能力」というのも、場数を踏むうちに身に付いてしまった。人前で話すこともそれなりに多かったから、遠ざかっている今でもそれっぽい講演はできるだろう。なにかを企画しても、たいして準備をしていなくてもそれっぽく終わらせることはできる。これに関しても、場数を踏んできたから、どうしたら丸く収まるかというか、ポテンヒットになるくらいの方法を知っている。ホームランは打てなかったけど、まあ出塁したんで許してくださいよ、みたいなもんだ。ヒットの例えをしてしまったけれど、ヒット1本打つのだってチョー大変なんだけどね。

もう少し言い換えてみると「技術点の取り方」みたいなものに、詳しくなってしまった。数学で難しい問題が出て正解が分からなかったとしても「お、このアプローチはおもしろいじゃないか」と目を引く技術が伸びたのだ。いや、それだけが伸びてきてしまったのだ。友人たちと遊びでやっている文芸部も、ぼくはすぐに技術点を取ろうとしてしまう。じっさい、取れてしまうことだってある。技術点で、本来の実力をごまかそうとしているんだよね。

技術点を取れるだけすごいじゃないか!という声もわかる。でも、さいきんは「ちゃんと負けること」のほうが大事なんじゃないか、とようやく思うようになってきたのであります。

今日勝たないと明日はない!みたいな状況なら、猫の手を借りてでも勝つべきだとは思うけれど、現実にそういう状況はすくない。すくないだけで、あるのはあるけどね。あさって以降も、これからも成長していきたいという場合には、技術点や抜け穴、抜け道を使って一位に躍り出るよりも、しっかりと負けた方がいいんじゃないか、と思うようになったのだ。

しっかりと、完膚なきまでに叩きのめさて負けておくことは、未来の自分にとっておおきな糧になる。だってそのとき叩きつけられた地面は、足の着く場所なんだからね。足の着く場所、足跡が残る場所、踏み込む場所でもある。敗者の美学を語りたいわけでなく、きちんと負ける大事さというのを、改めて書き残しておこうと思ったのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?