額縁のなかに絵を描いた

*「額縁」というものがあります。ぼくも絵本を書いている(ぼくは絵を描いていないけど)身として、展示をやる際に額装をどうしようかなぁなどと考えるのですが、そのうちに「額ってどうしてあるんだろう?」と考えるようになりました。額の役割、というものもそうだし、そもそもどうやって出来たのか?いつからあるのか?人はなぜ額を欲したのか?などなどね。「絵さえあれば額はなくていいもの」と言う人もいるかもしんないですが、そうでもないよ。観念的な問題ではなく、実際に「額屋さん」ってのが世の中にいくつもあるんだから。それでメシを食ってる人がある程度いるってことは、そこにきちんと需要があり、必要としている人がいるってことだ。

で、ひとまず物知りなGoogle先生に聞いてみたところ、なんと、初期のヨーロッパのほうでは、額と絵がひっついていたんだよね。絵につけるから当たり前じゃないか!と思うだろう?ちがうんだ。「額」と「絵板(絵を描くところ)」は、同じひとつの木から作られたものだったんだって。つまり、最初から額があって、額があって中身がないところに絵を描いていたんだよ。もちろん、絵はもっと昔からあるだろうけど、額が額として別のものでできるまでは、絵板と額が一体化したものだったんだよね。つまり、現在のような額縁ができるまでは、額縁は、絵描きが筆をとる前にすでに取り付けられていて、物理的にも、そしてきっと芸術性の観点からも分解できないものであったと言える。

これにはなかなか驚いたもんだった。だってそれって、「飾る前提」で絵を描くってことでしょう。何枚かある中からこれを飾ろう!と思って額をはめるのではなく、すでに額が取り付けられた板に絵を描いていく。そういうところから、額ってのがスタートしたんだと思うとおもしろいよなぁ。

で、キャンバスが出来てから、額縁がどんどん取り外せるもの、つまり額縁としてひとつのものとして生み出されるようになったんだって。そうして世界観の統一や、時代によっては同じ絵でも違う額縁を使って展示をしたりしていたんだそうな。

技術的な問題で、最初は「額縁だけつくる」ってのが出来なかったんだろうけど、それがきっかけで生み出された芸術性みたいなものが、そこにはたしかにあるんだろうな。いわば、一発勝負みたいなものでしょう。「良いものが書けたかどうか」というよりも「それを良いと思えるかどうか」みたいなところにも考えは発展しそうだ。そしてもちろん、額縁に合わないようなテイストの絵は描かないよなぁ。額縁という枠に合わせた絵が、どんどん生まれていったとも言える。それは文字通り外枠を、今の言葉で「ハード面」というものを作って、中をどうするか、みたいなことだったんだろう。つまり、今と真逆なんだ。絵があって額を決めるのではなく、額があって絵を描く。この時代の芸術というものは、いったいどんなのが生まれたんだろう?

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