ありあわせに満ちている。

*積み上げられてきたものは、ほとんど「ありあわせ」である。と、ちょっと強引に書いてみた。こんな断定口調で書いちゃったら、「そんなことないだろ!」って反射的に思っちゃったりするよね。いやもちろん、断定するつもりはないんだよ。そんなつもりはないんだけどさ、こう書いてみたってだけなんだ。ああ、また前置きが始まっちゃった。さいきん自分でも思うし、他人から「前置きの多い人ですね」っておこられたばっかりなのに。

そんな前置きの前置きはさておき、「ありあわせ」とかってあんまり良くないイメージがあるけれど、そんなことないと思うんだよなぁ。むしろ、世の中って「ありあわせ」で回っているようにも思う。むしろ、新しい何かが生まれるとき、それを形成しているすべてが「新しいもの」だったことなんて、一度もないんじゃないかなぁ。

新しい技術や商品が開発されたとき、それらはきっと「今までの技術」を駆使して生まれるものだ。いわば、今までの技術をありあわせて、新しいものをつくったとも言える。組織なんかでも「この企画は、あのチームが似たことを経験しているから任せてみよう」とか、そんなので動いていくもんじゃないか。

思考だってそうだ。一度通った自分の考えを組み合わせたり引き算したりしながら、新しい考えにたどりつく。ぜんぶがぜんぶ「ありあわせ」とは言わないけれど、大部分は「ありあわせ」、一度経験したものたちでうまくつくられているんじゃないか。

芸術だって研究だって思考や料理だって、ありあわせでつくられる。ありあわせって、すごいよ。ありあわせってさ、けっこうな可能性に満ちているもんだと思うんだよねー。


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