応援したくなる気持ち。

*「応援したくなる人って、どんな人だろう?」と、高校野球を涼しい部屋で見ながら、考えていた。ぼくだって少なからず誰かを応援してきた経験もあるし、誰かに応援された経験だってある。応援したことも、応援されたこともあるなかで、「応援したいなあ」と思う人の共通点を、経験をアテに探すことにした。

まず欠かせないのは「がんばっている人」だろうね。頑張っている人は、おのずと応援したくなる。高校野球だって、あんなに人を魅了するのは「がんばっている」からでしょう。知り合いでも、知らない人でも、がんばっている人を見かけたら、応援したくなっちゃうものね。いっしょうけんめいに、身体と頭を動かしている人には、どうしてか応援したくなるエネルギーがある。じゃあ、どうして人は「がんばっている人」を応援したくなるのだろう?

損得勘定でいえば、「応援」というのは、する側の損なのだ。そして、される側の「得」になるケースがほとんどだ。しかし、そんなことも分かっていながら、ぼくらはがんばっている人を応援したくなるよねー。その「感じ」ってのは、なんだかふしぎだ。本能的に、習性として何か備わっているのかもしれない。少なくとも、応援することは理には敵っていないのだ。応援することが、その人の得になるケースもあるんだろうけど、それはまた別の話で、「応援」とは言い難いのかもしれないし。

あ、「あれだけがんばっているのだから、報われて欲しい」という思いがあるからかもしんない。その「報われて」の部分に、少しでも力になれるようなら、力を貸すよ、と。応援の仕方は人にも場合にもよるだろう。「お金」や「声援」や「手伝う」、「じゃまをしない」という応援の形だってある。それぞれの形で「応援」することで、どうにかがんばっているその人が報われたらいいな、と思っているのかもしれない。そして、それはそっくりそのまま、自分のがんばりも報われたいってところに、つながるような気さえする。

がんばっている人を応援したくなる気持ちって、いったいなんなんだろうね。逆に「応援されたい!」って気持ちが湧くことって、そんなにないよねー。知らず知らず、応援してくれていた人に気付くことってのは、たくさんあるけどさ。


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