ぼくたちは割り切れない生き物だ

*人間という生き物は、割り切れない生き物なんだなと思います。これがひとりのことだったら、割る数はいつだって「1」だから、割るというかそのままなんだけど、ぼくたち人間には「関係性」というものがくっついてくるもんでね。わたしとだれか、あなたとあいつ、ぼくときみなんていう関係性になると、どう頑張っても割り切れないものなんですよ。でね、ここを割り切ろうとするのではなくね、「割り切れない」って一旦思い込むようにしてみたら、あんがい楽なんじゃないかなぁ。

じぶんのことを、頭のてっぺんからつま先までわかってくれる人なんて、いないわけです。四六時中一緒にいて、がんばって99%まで解ることはあっても、100%にはどうしたってなりきれない。これはもう、仕方のないことです。わたしとあなたは、いつだって違う人間なんですから。けんかやさみしさやかなしい気持ちなんてのは、そうした「割り切れない」の代表なんじゃないか。人肌が恋しくなったり、誰かに慰めて欲しかったり、誰にも愛されたい夜なんてのはきっと存在するわけで、それらは割り切れないものとして形容してみても良さそうです。

でね、この「割り切れないもの」たちを、割り切ろうとするからヘンになっちゃう。お互い割ろう割ろうとして頑張って一見割り切れたように見えたって、それはきっと割り切れる形に削ぎ落としただけでね、余りってのは必ず存在するんだと思います。仮に割り切れたとしても、お互いの体には切り傷ばかりが刻まれて血だらけだったりもする。そういう例をぼくも見てきたし、体験してきたりもしました。

だからね、一旦ぼくらを「割り切れない」と思ってみるんです。そうすると「割り切ろう」とすることよりも「割り切れない余り」をどう消化するかの方がだいじなんじゃないかなと思ってね。この余りの消化は、人それぞれだよ。甘いものを食べるでもいいし、お風呂にゆっくり浸かるでもいい。ベロベロになるまでお酒を飲んだっていいし、ペットに甘えまくたっていい。この「余りの消化」をそのときどきで持ったり試したりすることが、いいんじゃないかなぁ。ああ、ぼくたちはどこまでいっても、割り切れないものなんだ。


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