ことばにするは、アンカーだ。

*おととい、「ことばは自分から出るものだけれど、根っこをたどっていくと誰かの存在を感じることがある」と書きました。このことについて、もうすこし書けそうだったから、書き残しておこうかな。

ぼくはたまたま言葉にするお仕事をしているから、言葉にする役割なんです。誰かに「こういうことを書いて欲しい」とお願いされることもありますし、自分で「こういうことを書こう」と思って、ことばを絞り出したり、ふわふわと綴ったりすることもあります。前者の場合だと分かりやすいですが、その「ことばにしてほしいこと」について、たくさん考えたり経験してきた人がいるわけです。ぼくはその経験や考えを聴いたり体験させてもらったりすることで、ことばにしようとします。

後者の場合でも、自分が思ったことは、自分ひとりの関係性で生まれるものではありません。誰かとの関係性のなかで起こった出来事や経験や考えをもとにして、自分からことばが出てくるわけです。見えにくいかもしれないけれど、そこにもたしかに、誰かの存在があります。

ぼくがついている「ことばにする」というのは、いわばリレーでいうアンカーの役割なんです。役割というより、立ち位置と表現した方がいいかな。アンカーということは、そこまでバトンを繋いでくれた誰かが必ずいるわけです。それがときにはクライアントだったり、大切な人だったり、きらいな人だったり、今はもう会えない人だったりする。ことばにするきっかけをくれた人や、そのことばを思ったり考えたりする出来事を経験した人がいて、関係性があって初めて出てくる。それをたまたま、アンカーになったぼくがことばにしているだけなんだろうな。

そうして繋いできたバトンが、さらにまた、走り続けている人に届くことがあります。そうなったときは、ほんとうにうれしい。し、ぼくもそうしてバトンを受け取ってきたんだと思うと、なんだか切ないようなうれしいような、神秘的な気持ちにもなるのです。たかがことばかもしれませんけど、ことばの根っこにはやっぱり、思いがありますから。なにもことばだけの話じゃないんですけどね。


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