「壁」じゃなくて「窓」だったら。

*「壁にぶちあたる」とか「超えられない壁」とか、ひとつの試練や課題を表現する言葉として「壁」という単語がよく使われる。この感じは、言い得て妙だ。たしかに何度ぶつかってもまったく響かない感じや、どこから手をつけていいのか、どんなふうに飛び越えたらいいのか分からない、まったいらで大きな壁が目の前にそびえ立っている感じも、なんとなく分かる気がする。

しかし、だよ。ぼくはたびたび、この「壁」という表現を疑ってもいる。超えてでも行きたいそれは、本当に「壁」なのだろうか?「壁」と呼んでしまっているから、おおきく、太刀打ちできないイメージを持ってしまっているだけなんじゃないか。

「超えられない壁」なんてのは、ほんとうはないんじゃない?と、気軽に思ってみることにする。壁だと思っているものは、実は壁じゃなく、扉でもなく、「窓」なんじゃないだろうか。
窓からは、あっちの景色が見れる。もちろん、あっちから、こっちの景色も見えている。光が差し込んだりして、窓を開ければ風が吹き込むこともあるだろう。にぎやかな声が聞こえたり、楽しそうな音楽が鳴っているのを耳にするかもしれない。壁を超えることはできなくても、窓を開け閉めするくらいなら、たいしたことのないぼくにもあなたにもできそうだ。

自分がいま、超えられない「壁」だと思っているものを、「窓」だと思ってみる。思い込んでみる。そうすることで、向こう側の景色がもっと見えたり、もっと聞こえたり、もっと感じたりできる。向こう側に行きたい!とさらにつよく思うかもしれないし、案外こっちもわるくないぜって思えることもあるかもしれない。もし、窓から見える向こう側に行きたいのなら、窓を開けてひょいっと飛び込んだらいいだけ、だし。

壁をぶち破ったり、のぼることはむずかしそうだけど、窓を開けて空気を呼び込むくらいなら、できそうだ。そういえば、同級生のことを「同窓生」って呼んだり、「同窓会」って名前もいいよねえ。ぼくらは同じ窓を見ていた、ってとっても素敵だよなぁ。


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