心のけものみち

*「やさしい人」とか「いい人」と紹介される人をよく見てきた。ほとんどの人たちが謙遜し紹介され、紹介する人はどこかそれをひとつの才能のように紹介する。「足が速い」とか「背が高い」みたいに。女性のあいだでは特徴のない人や興味のない人に、「やさしい人」とか「いい人」と使われるらしいけれど、それらはちょっとちがったものだろう。ついつい書いちゃったけど。

やさしい人やいい人には、かならず「けもの道(あぜみち)」ができている。歩道のない田んぼの中を、どうにかこうにか歩いてきた形跡が、その人のうしろがわにあるはずだ。なぜなら、やさしい人やいい人と言われる人たちはみな、生まれつきやさしかったわけじゃないからだ。やさしい自分でいれるように、努力し続けてきた人だからだ。

やさしさなんてものは、時代によって変わってくるものでもある。一昔前のやさしさと、今のやさしさは道のりは同じでも、結果は違うだろう。そう考えると、生まれつきやさしい人なんているわけがないんだ。みなすべからく、やさしいとは何かを考え続けて、努力している人だ。1ミリでも自分をその方へ近づけようと、努力している人だ。少しずつ少しずつ、自分の望む方へ近づけようとして出来たけもの道を、想像していたいなと思う。その畔道があることを、きちんと心でわかっていたいと思うのだ。


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