さみしいからやっちゃうこと。

*「ガム」という食べ物がある。いや、あれは食べ物と言っていいんだろうか。噛むけど、ごっくんと飲み込んで、食べるわけじゃない。擬似的な食べる行為を行うことで、味を感じたり、満腹感を味わったりするためのものだ。嗜好品、という言い方が正しいんだろうが、あのガムってのはなんとも、口のさみしいのを紛らわせてくれるもんだよなぁ。禁煙している人がよく、ガム噛んだりしているし。

少し前、「ハンドスピナー」なるものが流行った時代があった。なにかを思案しているときに、手元を動かすといいだのなんだの言われていたけれど、そんなことは特に考えずに使っていた。使ってみると、これが案外しゃーっとやっちゃうんだよね。学生の頃によくしていたペン回しみたいに、気付けばやってしまっている。手持ち無沙汰だから、その手で遊んでいるようなもんなんだけど、べつにほんとは手持ち無沙汰でもなんでもないのにね。

「大音量で音楽が流れているクラブとかライブハウスに行ったら、あんまりどう遊んだらいいか分からなくて、お酒を手に持っているもんだからどんどん進んじゃいますよね」と言ってるコーハイがいた。ぼくはものすごく共感したもんで、踊り狂っている人からしたら「やることあるじゃん!」って思うんだろうけど、ぼくみたいな人からしたらどうしたらいいか分かんなくて、とりあえず手元のお酒に口をつける。間を持たせるためにやっていると、あっという間にお酒はなくなってしまう。

こういうのはぜーんぶ、さみしいからやってるんじゃないかなぁ。口元がさみしいから、ガムを噛んだりタバコを吸ったり、たいして飲みたいとも思っていない飲み物に口をつけたりする。手元がさみしいから、ハンドスピナーだったり、手元でこちょこちょ遊んだりする。この前ラジオで「さみしさについて」話したあと、立ち飲み屋で打ち上げしていたら、お客さんみーんなさみしいから酒場に来て、さみしいから話したり話さなかったりしているんだと思うと、おもしろい光景だった。

芸術というものも、さみしいから、そのさみしさを慰めるためにやっていると思うと、そうだよなぁ。その行為が名作を生むことになったり、新たな発明をすることになったりしているのかもしれない。「世の中の役に立ちたい」とかりっぱな動機じゃなくても、モテたいとかさみしいみたいな感情は、れっきとした動機になるんだよなぁと思った。ついついやっちゃう好きなことはなんですか?って質問くらい、さみしいときについついやっちゃうことはなんですか?って質問は、おもしろいかもしれないなー。


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