他人はいつだって、好き勝手

*つい先日、仲良くしている友人夫婦のところに、お子さんが生まれた。生まれた深夜に連絡をもらって、無事でよかったという安堵と、おめでとうというお祝いの気持ちが一緒に湧いてくる。仲良しの友人が、お父さんと、お母さんになる。ぼくはまだその顔を見たことがないけれど、きっとこれから、その子を通して「お父さん」と「お母さん」の友人を垣間見るのだろうな、なんて想像もする。

ちょうど生まれた3日後くらいに、お父さんの方と会う予定があって、ちょうどそのとき「名前」の話をしていた。「候補が3つあって、どうしようか悩んでいるから意見を聞かせてほしい」と言われ、なんだか落語に出てくる話みたいだなと思いながら、もちろん!と意気込んだ。正直、彼はそこまで悩んでいるようにも見えなくて、もうすでに自分の中では決まってるような感じもあったけれど。

「れつくんはどれがいいと思う?理由は?」と聞かれて、ぼくなりの、ほんと個人的な感覚だけで返事をさせてもらったんだけど、返事をしながら「他人は、好き勝手に言えてしまうものだな」と思ったのだ。この言葉にはこんな意味があるらしいよ、とか、響きがいいよね、とか、字画はどうなの?とか、好き勝手言えてしまうのだ。べつに、わるいことだと言いたいんじゃないし、好き勝手言える側の意見を聴きたいのだと思うのだけれど、おれ、好き勝手言ってるなぁって思いながら、おれの意見を言ってたんだよ。

そして仮に、ぼくが言った意見に関係なく、その子の名前がぼくが投票した名前に決まったとして、ぼくはこのエピソードを、自分の意見をおぼえているだろうか?と考えると、きっとおぼえていないだろうなぁと思ったんだよね。もちろん向こうも、気軽に聞いてくれてるとは思うのだけど、なんだかぼくは自分が忘れてしまいそうなことが嫌になって、その日帰って手帳に言ったことを書き残した。どんな名前がつこうが、おめでとう、あなたのお父さんとお母さんは、あなたのことを世界一愛しているよ、ぼくも早く会ってみたいですなんて言葉を添えて。

好き勝手言える他人だから意見を求めることもあるし、好き勝手言われて「ひとごとだと思って!」なんて言っちゃうこともある。ひとごとだから言える意見だってあるし、一緒に悩んでほしいときと、バシッとアドバイスが欲しいときだってあるしね。このへんは、人間のややこしくって、それでいておもしろいところだとも思うよねー。


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