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映画の感想 タイ映画「The Moon」とCDの発売(2017年6月記)

いつも思います。
西洋のものは実に素早く情報が入ってきます。なんと押し付けがましいことか。
アジアの情報は、こんな感じです。アジアは広く多様で寛容で、何も押し付けてきません。
こうした一部の通人(Soi48)に支えられて知る由。
こうして記録していても、比率で考えると偏っていますねえ。
西洋は「聴き手」オーディエンスを欲し、それがないと霊的に芸術に昇華しません。
アジアはただ畑の真ん中で声を出すだけでいい。
「俺の話を聞け、5分でいいから」と「君の声を聞かせて」の違いかしら。
しかし本当か嘘か「逃げ恥」がハンガリーのことわざなら、やはりあそこまでアジアっぽいのかも。
「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」の意と。


映画「ザ・ムーン」はyoutubeで鑑賞。残念ながら字幕なし。久しぶりに2時間映像を追いました。
映画は本来セリフや音、色がなくても理解できる表現である、はず。デパルマ風な画面分割が度々使われていました。ちょっと安いミュージックビデオ風とも。そのかわりしっかり(歌詞でなく)音楽を聴けました、というべきかも。聴いていくと日本の演歌よりも、アメリカのカントリーに似た雰囲気を持っています。「歌えロレッタ愛のために」とか「クレイジーハート」とかみたい。
そして、日本で近い世代の歌手といえば、ちょうど山口百恵と松田聖子の間の年齢。むしろ美空ひばりとは遠いと思います。小倉説によると歌の世界観が少女の成長とリンクしている、というもの、でした。

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A movie that portray the life of the Queen of Thai folk song
Pumphuang Duangjan

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いよいよ「ルークトゥン女王」プムプワンが登場!
世界初CD化かつ実はプムプワン作品自体が本邦初の公式リリースという二重の快挙。ワールドミュージック全盛期に「ルークトゥンの女王」として君臨し、日本でも熱狂的なファンを生んだ伝説の歌手(前川健一著『まとわりつくタイの音楽』の表紙であまりにも有名)、あのプムプワンが没後25 年を経て悲願の本邦初登場を飾ります。しかも本作はキャリア頂点の80 年代半ばにドイ・インタノンのプロデュースで制作された名盤。
1992 年に30 歳で病没後、プムプワンは「歌聖」として祭られていますが、成功と不幸が極端にミキシングされた生涯でゴシップが多い反面、彼女が音楽面から真正面に捉えられる機会は実は少ないといえます。+日本語・英語訳詩掲載 +解説:Soi48 +世界初CD 化 +ジュエルケース/ 24 頁ブックレット封入

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検索総合。
ニックネームPueng(Bee)で知られるPumpuang Duangjan(1961-1992)は、タイのスター歌手 。彼女はタイで最も重要なLuk Thungルークトゥンのボーカリスト。バンコクの北、Suphanburi州で育ちました。貧しい農家の子供で、わずか2年間の初等教育を受けただけで、そのため文盲でしたが、彼女は歌詞を聴き覚え12歳までに100曲を暗譜していたといわれます。たくさんの地元ののど自慢大会に参加。15歳の時には地方訪問バンドの巡業許可を受け活動、1970年代後半から彼女の名声は上がりました。
今日、彼女はタイの農村の貧しい人々に語った彼女の歌詞のために記憶されています。彼女はpleng luk thungプレンルークトゥン(タイのカントリーミュージック)をエレクトロニック・ルークトゥン(elect luk thung)と呼ばれるダンスレディを従える形式に発展させた。伝統的Look Thungと西洋ポップスのスタイルを豊かに融合しました。
彼女はいたずら好きで挑発的な衣装でステージに立ち、音楽評論家や年老いた世代から反発を招くようなセクシーな表情を浮かべました。愛されているだけでなく、嫌われてもいました。
新世代の多くのアーティストが、彼女にインスピレーションを受けたと言っています。彼女は「スパイスをルークトゥンに入れた女の子」と評されます。
何百万人ものファンに愛されていましたが、彼女の音楽活動は、彼女の恋人、マネージャー、プロモーターによって不当に文盲を利用され利益を奪われました。
最初の夫は彼女が、カフェや寺院で行われるコンサートのバックダンサー兼バックコーラス時代に知り合い、結婚したが、のちに彼女の妹と関係ができ離婚しました。プライベートは不遇で、最後はピサヌロークで腎不全で倒れ帰らぬ人なりました。

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