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映画の感想 弦楽四重奏曲「淋しいアメリカ人」 (2013年11月記)

チケットを頂戴して楽日の「25年目の弦楽四重奏」を鑑賞。
「後期弦楽四重奏曲」と活動後期の弦楽四重奏団をかけたタイトルかしら。
生っぽく少し皮肉っぽく、人生を懺悔したい人向き。もう少しユーモアがあったらだめなのかしら。
冒頭から、ああこれがラストシーンなのね、という感じ。音楽的アイデアは満載、モデルが明確、リアルさの追求はよくできています。ポスター写真やインタビュー番組の造り。楽器の由緒正しそうなところや、俳優の演奏などなど。「コンペティション」のドレイファス、アービングの実演よりリアル。フランス製の「オーケストラ」なんかいい加減に見えてきます。映像としては「ピアノマニア」にむしろ近いかしら。
後は、アメリカ風なドロドロと身につまされるホームドラマが演じられます。「ソープ」からユーモアを取り去った感じ。4、5回デートしたらフィジカルにことを進めるアメリカ人が、25年一緒に活動すればこんな感じ。舞台が医療現場なら「ER」になるかしら。わたしのような世代は、アメリカのドラマで育ったので、こういうドラマは見慣れたもので、劇場で見せられると恥ずかしくなります。コードが甘くなるので、ペアレンタルガイダンスが必要なシーンが増えるだけですし。小悪魔な娘にバカにされる修道僧みたいな男なんて、うーん一体いつの映画だろう。かといってお芝居の映画化とも違うので、なおさら。ニューヨークは、ユーモアのある町の印象なのです。テレビドラマでも、ウディ・アレンの映画なんかでも。
うーん、なんだかアクターズスタジオが喜びそうなドラマ、苦手です。

メゾの伴侶がいたチェリストの語るカザルスのエピソードや、第1バイオリンの馬の毛探しとか、第2の家のゼーバースのコーヒーをプレスでいれたりとか、リサーチが行き届いていてリアル過ぎ。
わざわざ観に行く人に何を伝えたいの?最後のバトルシーンで、チェリストは「音楽に敬意を払え」と怒鳴ります。あれだけ見せといて、ロマンチックなドラマ的解決を飛ばして。最初からチェリストと小悪魔が結託して、人間たちをからかった風です。

考えてみると、確かにソロと大きなオケの間で、四重奏団は中小零細規模です。オケや音楽ビジネスの経営論は増えてきましたが、四重奏規模の経営論はありません。レパートリーも限られた特殊な業界です。ある種の専門職人の集団ともいえます。すし屋そば屋的?

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----つまらない追記。
ソロはその人物が亡くなったり、その個性特性が失われればお終いですから、元来存続の対象にはなりません。しかし、有名なほど記録が多く残され、それがスタンダード化して、後輩たちを苦しめます。
一方、オケは会社ですから、不景気で消滅したところもありますが、土地に憑いていることが多く、地域の人々の支えが得られれば、存続します。ある意味オーディエンスがオーナーでしょうか。社会的機能もあると思われていますから、行政の助成も交渉しやすそうです。
さて、カルテット規模の零細はどうでしょう。古楽のガンバ・コンソートなどは、常設のプログループはほとんどなく、1986年にフレットワークができて、くらいの歴史。メンバーは、どんどん入れ替わっているといえます。もちろん、ブリティッシュカウンシルなどがサポートしていたりと記憶していますから、英国は自国の音楽史のオリジナリティとアイデンティティのための音の博物館を継続させるでしょう。ただ「ラクリメ」がベートーベンのカルテットと比肩するか----個人的にコンソートソングが好きなのでガンバコンソートは弦楽四重奏よりオケに近いと思います。スミソニアンの楽器コレクションに付随したスミソニアン・チャンパー・プレイヤーズというのもありますが、演奏家が特定される必要がないので、存続します。
最近では、カルテットも個人のソロに近い扱いかと思います。メンバーが欠けたら、そこで一旦解散が多いのではないかしら。複数の個人を一塊として継承することには障壁が多いといえます。経済的に採算性が弱いので、新規開業は少ないはずですが、レパートリーが消滅しないので、それを再現する志を抱く演奏家もいなくなりません。日本では、1994年にクァルテット・エクセルシオが誕生しています。これがおそらくほとんど唯一の常設の弦楽四重奏団かしら。サイトに年間80公演あったので、演奏会だけで食べていけそうです。営業は、①出張普及啓蒙活動《アウトリーチ》、②レパートリーの充実と拡充《現代曲》、③《定期演奏会》ということらしい。①宣伝②仕入③販売と一貫しています。NPOですが、法人化もしています。法人化されたカルテットが、世界にどのくらいあるのかわかりませんが、堅実と思います。もちろん、往年の有名カルテットのような個性が出せるのか、継続するのか、という課題はあると思いますが。このクァルテット・エクセルシオが25年経つと2019年。どうなっているのでしょう。ぜひ25年目にベートーベンの嬰ハ短調を聴かせてもらえると----実に興味深い、かしら。
こうメモを綴ってくると、思ったより音楽の世界のセルフマネジメントも進んでいるようです。もし映画のラストがNPO法人化して存続するというのだったら、わたしは個人的には歓迎します、きっと。それで個人の芸術性が蔑ろにされるとか、楽団が個性を失うという人がいたら、自意識過剰では?と思います。わたしは、もっと人は柔軟なものだと、信じたいので。(弦楽四重奏版の「ここに泉あり」って、映画としては面白くないかも。でも2019年にはそれを面白く聴ける可能性があり、それから5年10年して、それを題材に面白い映画を撮る人も現れるかも)

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「淋しいアメリカ人」本歌は、下記です。

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